『北斗の拳』もっさり巨漢「山のフドウ」が愛されるワケ その「生き様」と「死に様」
拳王と互角に戦うことができた理由

それ以降、フドウは贖罪するかのように、父親として孤児たちを育てることに邁進します。彼の目に迷いはありませんでした。そのまま子どもたちとともに平穏な暮らしを続けられればよかったのですが、乱世はフドウを見逃してはくれません。ケンシロウとの戦いで一瞬の恐怖を感じたラオウが、恐怖を払拭するためフドウと戦うことにしたのです。
子どもたちに背中を押されて、フドウはラオウと戦うことを決意します。ラオウの拳に圧倒されますが、どんなに叩きのめされてもフドウは立ち上がり、全身から血を流しながら逆にラオウに迫っていきます。フドウに力を与えていたのは、子どもたちの瞳に宿る「哀しさ」でした。フドウは孤児になった子どもたちの哀しさを背負って力を得ていたのです。ラオウは子どもたちの哀しい瞳にケンシロウの表情を重ね合わせます。
たしかに「鬼のフドウ」は強かったかもしれませんが、その後、拳王となったラオウや成長したケンシロウと互角に戦うことはできなかったでしょう。フドウがラオウを一歩退かせたのは、「鬼の血」ではなく、彼が背負った子どもたちの哀しみから湧き出た力でした。絶命寸前のフドウはラオウに向かってこう言います。「哀しみを知らぬ男に勝利はないのだ!!」と。
子どもたちとは、未来を意味します。荒れ果てた世界で誰もが今を生きるのに必死になっている中、ケンシロウは「今日より明日」に希望を託した“種モミじいさん”ことミスミの言葉に感銘を受けていました。「今日より明日」は、ケンシロウやラオウをはじめとする戦士たちのロマンあふれるバトルの影に隠れた『北斗の拳』のもうひとつのテーマといえるでしょう。フドウも「今日より明日」を見つめていたひとりです。
優しさがあって、哀しみを背負っていて、未来を見つめていて、強くてカッコいい。それがちゃんと全部つながっているから、読者にもすっと伝わる。札付きのワルが更生して真面目に暮らしていたのに、最後はやむにやまれず立ち上がる……というのも日本人が大好きなパターンです。だからフドウは多くの人たちから愛されるのでしょう。
(C)武論尊・原哲夫/コアミックス 1983
(大山くまお)



