『キン肉マン』なぜウォーズマン戦で「フェイス・フラッシュ」は発動しなかったのか?
乱発していたらつまらない作品だったかも…?
ここで注目すべきは「少しずつ不思議な光が放たれるようになった」というところでしょう。その説明がなされるコマにおいても、顔が光っているような描写は確認できるものの、一方で「フラッシュ」、すなわちフェイス・フラッシュとして描写されるような、閃光のようなものではありません。
そこから推察されるのは、閃光をともなうフェイス・フラッシュはやはり意図的に発動するものなのではないか、ということです。そしてもうひとつ、その顔からは常時、光が放たれているものの、その通常時の光量は控えめなものであろう、ということも考えられます。それは、仮定のうえに仮定を重ねることになりますが、もし閃光を放つまで知恵の水をすり込み続けたということであれば、シズ子は止まった心臓をも蘇生する奇跡の閃光を至近距離から浴び続けていたことになり、病弱というその体になんらかの影響があってもよさそうなものではないか、と考えられるからです。
そうすると、上述したウォーズマン戦でフェイス・フラッシュといえるような閃光が観察されなかったのは、キン肉マンが意図して発動していないので当然のことであり、そして会場は天井のない国立競技場ゆえ、日中の晴天下における光量のなかでは、顔から常に放たれているはずの光も視認できるほどではなかった、と説明できるのではないでしょうか。
フェイス・フラッシュ(あるいは顔の発光現象)が初めて描写されたドブ川のシーンは、キン肉マンが意図的にフェイス・フラッシュを発動したわけではありませんが、一方でどう見ても夕景のなかです。つまり白昼のように自然光の強い環境ではなく、よって常に顔から放たれている光でも十分な光量が得られた、という説明ができそうです。
そのドブ川のシーンまで、キン肉マン本人もフェイス・フラッシュ(および常時発光すると推察される顔からの光)にそれほどの力があるとは思っていなかった様子がうかがえますので、ウォーズマン戦においては、意図的に発動するという発想そのものがなかったといえるでしょう。
以上のように、「ウォーズマン戦においてフェイス・フラッシュが観察されなかった理由」は、なんとか説明ができそうです。とはいえもし、フェイス・フラッシュでウォーズマンのベアクローが飴のように曲がってしまっていたとしたら、ベストバウトのひとつに数えられるほどの名勝負にはなっていなかったでしょうね。
(LUIS FIELD)