『Zガンダム』結末違うTV版と劇場版 『新訳Z』から『逆襲のシャア』にどうつなぐ?
『新訳Z』こと劇場版『機動戦士Zガンダム』は、TVアニメ版とは異なる結末が描かれたため、一見すると続編の『ZZ』や『逆襲のシャア』にお話がつながらないように思われます。どうすれば矛盾なくつなげられるのでしょうか。
読み解くカギのひとつは「カミーユは民間人」

『新訳Z』こと劇場版アニメ3部作『機動戦士Zガンダム A New Translation』では、主人公「カミーユ」が精神崩壊するTVアニメ版ラストが富野監督の意向で変更されています。
TV版では、カミーユに未来の希望を抱いていた「シャア・アズナブル」が絶望し、さらに続編『機動戦士ガンダムZZ』で「アクシズ(ネオ・ジオン)」が崩壊しています。これにより、地球連邦政府に地球を手放させ、人類をスペースノイドにしようという勢力がなくなったことで、シャアは自らネオ・ジオン総帥となって、地球粛清に乗り出すことになるわけです。
しかし『新訳Z』では、シャアは生死不明となっており、搭乗していたモビルスーツ「百式」ごと、戦死していても不思議ではないほどの巨大な爆発に巻き込まれていました。アクシズを率いるハマーンは、その様子とエゥーゴの勝利を目の当たりにして戦闘を停止し、主君「ミネバ」をサイド3経由で地球に留学させ、自らは地球圏から離脱する、というストーリーに変更されています。
いずれにせよ、物語を大きく動かすことになるのはシャアです。ここで改めて、TVアニメ版『機動戦士ガンダムZZ』のストーリーラインなどを元に、「エゥーゴのシャア」がどのようにして『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』における「ネオ・ジオン総帥のシャア」になっていったのかを振り返りましょう。下記のようにまとめられるものと思われます。
「『Z』最終決戦時点で、エゥーゴ内連邦派はシャアの指揮下に入ることを快く思っていなかった。ティターンズを打倒できた以上、連邦派は彼の『人類をニュータイプにするために、全員を宇宙に移民させて、地球は無人にすべき』に付き合わない。シャアもまた、ニュータイプの可能性として期待していたカミーユが精神崩壊し、そのような状況になるまでエゥーゴを支援しなかった連邦政府に絶望していた。そうした中、ハマーンがネオ・ジオンを名乗り、地球を制圧したが、内部分裂しグレミー派との争いのなか自壊した。シャアはジオン・ズム・ダイクンの息子として、スペースノイド独立派を糾合する好機と判断し、ネオ・ジオンを掌握した」
これをもとに考えると、『新訳Z』の物語を『逆襲のシャア』につなげるためには、以下の点をクリアする必要があると考えられます。
(1)シャアがエゥーゴの指導者をやめる理由を付ける
(2)シャアが未来への希望を託していたカミーユが、シャアによる地球粛清を止めない理由を付ける
(3)アクシズ(ネオ・ジオン)の指導者がハマーンからシャアになる理由を付ける
(4)『逆襲のシャア』でネオ・ジオンが正面から戦えないほど、弱体化している理由を付ける
(1)は、『新訳Z』内で、シャアのモビルスーツ「百式」が爆発に巻き込まれていることから「シャアが負傷している間に、エゥーゴ内連邦派が組織を掌握し、戻っても指導力を発揮できる余地がなかった」と考えれば、矛盾はありません。
(2)については、つまりカミーユとはなぜ距離ができたのか、ということになります。シャアが負傷して離脱していたなら、戦闘艦である「アーガマ」内でカミーユが無事か否かの状況も掴めないでしょう。離脱していなくとも、アーガマに出向けば、連邦派からすれば用済みであるシャアは拘束されるかもしれず、リスクがあるので行けなかった、と考えられます。
そのようにグリプス戦役直後には合流ができず、時間をおいて、ファと暮らしているであろうカミーユをスカウトしてみたけれど「戦争で世の中を変えるという大尉の考え方は間違っています。俺は戦いませんよ」といったふうに断られた、などと考えれば矛盾はないと思います。
(3)(4)は、エゥーゴで行き場を無くしたシャアが「地球を無人にして、人類全てを宇宙へ移民させる」という、ダイクンの理想を実現するために、エゥーゴ内ジオン派を糾合して、ハマーンのアクシズ(ネオ・ジオン)に内部抗争を挑んだ、とすれば説明できます。
ハマーンは、理由はわかりませんが、『新訳Z』では旗頭となる「ミネバ・ザビ」を、サイド3経由で地球に留学させていました。そのミネバの身柄をシャアが確保し、「ジオンの正当な後継」という大義名分をハマーンから奪い、武力でハマーンを打倒しようとしたのなら、ネオ・ジオンが大幅に戦力を減らし、『逆襲のシャア』の描写に見られるような「降伏に見せかけてテロを行わざるを得ない弱小勢力」となったことに矛盾はありません。