「仮面ライダー」実は初期作からあった「相棒」要素 孤独なヒーロー像はまちがい?
時代が平成となっても頼れる相棒が続々登場
シリーズ第3作『仮面ライダーX』(1974年)では、相棒キャラと呼べる存在は登場していません。続く第4作『仮面ライダーアマゾン』(1974年)では、明確に相棒といえる存在ではありませんが、「モグラ獣人」がそのポジションでしょうか。仮にこのモグラ獣人を相棒と考えると、シリーズ初の死亡した相棒キャラクターといえるかもしれません。
第5作となる『仮面ライダーストロンガー』(1975年)では、初めて第1話から相棒となるキャラクターが登場していました。それが「電波人間タックル」です。シリーズ初の変身ヒロインでもありました。
もともとタックルは、『ストロンガー』企画段階での『5人ライダー(仮称)』の時から存在したキャラクターです。ちなみに、この『5人ライダー』のアイディアが、後に『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)へとつながりました。
つまりタックルは、本来ならシリーズ初の女性仮面ライダーだったわけです。もっとも、この『5人ライダー』と「女性ライダー」に関しては事前協議の段階で、キー局である毎日放送側から難色を示され、企画書すら作られませんでした。
タックルは番組途中で死亡退場することになりますが、その存在は作品を語るうえで外せない大きなものとなっています。この「男女相棒もの」というコンセプトは、後発の作品群にも少なからず影響を与えたといってもいいでしょう。
その後、時代は移り変わっていき、さまざまなライダーシリーズ作品が生まれたなかで、「相棒もの」という観点から注目される作品がいくつか見られます。そのひとつが『仮面ライダークウガ』(2000年)です。
この作品で主人公「五代雄介/仮面ライダークウガ」を助けるのが、警視庁の刑事「一条薫」でした。この『クウガ』では、ライダーはひとりだったこともあって、一条の存在感は原典の滝に勝るとも劣らないものだったと思います。
特筆したいのが、一条はあくまでも生身の存在というところです。平成シリーズ以降、複数人のライダーが当たり前のように出てくる作品群にはない存在感を示していました。何しろ近年ではメインキャラクターのほとんどが、いずれはライダーになってしまうからです。
もうひとつが『仮面ライダーW』(2009年)でしょうか。本作品では「左翔太郎」と「フィリップ」のふたりで、主人公である「仮面ライダーW」へと変身します。つまり相棒が力を合わせて変身する、究極の相棒ものの仮面ライダーといえるでしょう。
もちろん、このほかにも相棒という部分を注目していくと面白い発見ができるかもしれません。筆者も昭和世代ゆえに、以前は「仮面ライダーは孤独に戦うロンリーヒーロー」というイメージを強く持っていました。しかし、固定概念にこだわらず作品群を観ることで、違ったものが見えてくるものです。
(加々美利治)