プレステ版『FF7』発売時に…ゲーム流通の革命児「デジキューブ」の始まりと終焉
『FFVII』狂騒曲とゲームの流通

『FFVII』がコンビニ中心の流通になることが知れわたると、予約が殺到するようになりました。確か筆者がバイトしていた店舗でも、100本以上の予約が入っていたはずです。またプレイステーション本体がゲーム店や家電量販店から姿を消したため、コンビニでも定価だというのに一気に売れるようになりました。
このとき、「デジキューブ」が目指したコンビニでのゲーム流通は、確かに成功していました。しかしそれは、既存流通網や販売店舗を敵に回すもろ刃の剣でもあったのです。
特に大きな問題となったのが流通でした。任天堂製品を扱う流通組織はかつて「初心会」と呼ばれており、任天堂とは極めて密接な関係にあったのです。デジキューブの設立自体が「初心会」と対立するものであり、当然のごとくデジキューブでは任天堂製品を扱うことはできなかったのです。そのほかさまざまな問題があり、この時期の任天堂とスクウェアの関係は非常に悪いものでした。
「デジキューブ」としては携帯用ゲーム機で大きなシェアを持つ任天堂製品を取り扱いたいと考えていましたが、任天堂はそれを拒否します。ことに、大流行していた『ポケットモンスター赤・緑』を取り扱えなかったことは、「デジキューブ」にとって大きな痛手となったのです。最近では『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズに『FFVII』のクラウドが登場していることを見ると、関係は修復されているのかもしれません。
また、「デジキューブ」はゲームソフト流通としては珍しく返品制度を設けていたことも後々打撃となりました。『FFVII』は好調だったものの、割引価格で購入することに慣れているユーザーからは、定価販売はやはり不評で、多くの返品が生じてしまったのです。
さらに親会社のスクウェアが映画『ファイナルファンタジー』で巨額の負債を抱えてしまったことも、「デジキューブ」に更なる追い打ちをかけました。
追い詰められた「デジキューブ」は音楽配信事業やコンビニATM事業に乗り出しますがことごとく失敗。2000年4月5日には本社が銃撃されるという事件も発生します。原因は音楽配信事業の利権がらみという説もありますが、真相は謎のままです。
こうして多額の負債を抱えた「デジキューブ」は2003年11月26日に倒産します。しかしながら、「デジキューブ」が目指した世界は、今はごく当たり前に存在しているものも多くなっています。もし、インターネットの本格普及が5年早ければ、まだ「デジキューブ」は存在していたのではないか、世界の最先端を走っていたのではないか。筆者は少しだけ、そんな考えを持っています。
(早川清一朗)
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