「80年代ロボットアニメ」リアル路線なのに「オカルト」的な終わり方が多いのはなぜ?
紀元前からあった、人類の「創作手法」だった?

1980年代というと、「世紀末思想」のようなものが流行した点が見逃せません。この当時のアニメ、マンガ、小説といったフィクション作品には少なからず影響を与えていました。当時のフィクションで未来を描くとき、だいたい「198X年」や「199X年」というのが定番だったと思います。
これには、「1999年7の月…」で有名な「ノストラダムスの大予言」の影響が大きく、当時のTV番組でも特番がよく放送されていました。こうした目に見えない不安のようなものが誰の心にもあったのでしょう。
そう考えていくと、この「目に見えない不安」を具現化して最終回で戦うラスボスにするという手法は、時代の空気感からすれば無理からぬ配置なのかもしれません。
ただし、ロボットアニメのメインターゲットである子供たちにとって、この終盤でよくわからない巨大な存在が登場するという展開はわかりづらかったようです。ふんわりとした展開だったと、おぼろげに記憶している人も少なくありません。
こういった超展開で物語を終えることを「デウス・エクス・マキナ」といいます。物語が解決困難な局面になっても、絶対的な存在によって終息を迎えるという意味になるでしょうか。古代ギリシアからある言葉です。
このデウス・エクス・マキナによる最終回が多いのが1980年代のロボットアニメの特徴といえるかもしれません。もっともデウス・エクス・マキナが使われたロボットアニメの最終回は1980年代が初めてではありません。デウス・エクス・マキナが使われた代表的な作品といえば、『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)を思い出す人も多いことでしょう。
『コン・バトラー』の最終回は、敵の残した核融合弾アースボムによって地球は壊滅の危機を迎え、エネルギーの尽きたコン・バトラーにはどうすることもできませんでした。しかし突如、現れた平和の使者「デウス」が爆弾を止め、各地の戦火を鎮めるなどの奇跡を起こします。
ちなみに、このデウスの存在は最終回まで特に語られておらず、伏線らしいものもありませんでした。つまり最終回になって唐突に現れた新キャラが物語を解決した稀有な例といえるわけです。
その名前からデウス・エクス・マキナの影響であることは間違いなく、1980年代の流行に先駆けて使われたということでしょう。この『コン・バトラー』最終回でデウス・エクス・マキナという存在を知った人も少なくなく、アニメファンにはよく知られた手法となりました。
もっとも1980年代の作品では第1話から積み重ねてきた設定が土台になっているので、唐突感はそれほど感じなかったかもしれません。しかし、劇中の登場人物が翻弄されたという意味では、強大な力による強引なエンディングだったといえるでしょう。
(加々美利治)



