【ルパン三世】宮崎駿監督の影響も…時代を反映した3つの「ルパン像」とは
ルパン像に「ハングリーさ」持ち込んだ、宮崎駿監督

同シリーズ前半で監督を務めた大隅正秋氏は「緑ルパン」について、金や物に執着はしないが退屈しのぎに泥棒を行っている、非情さと倦怠感をあわせ持った人物として描きました。当時、若者が「しらけ世代」といわれていた風潮を反映したともいわれています。
しかし、“大人向け”のアニメとして制作された本作は視聴率が振るわず、シリーズ途中で“子ども向け”への方向転換を強いられます。これにより大隅監督は降板、その代わりに演出を担当することになったのが高畑勲氏と宮崎駿氏のAプロダクション演出グループです。
宮崎駿氏らは大隅監督のルパンの倦怠感と非情さを薄め、金がなく常に面白いことを探しているような男に改めました。作画においても、作画監督を務めた大塚康生氏が著書のなかで「初期の大隅ルパンは倦怠感、アンニュイを要求した大隅さんの演出意図に合わせたもので(中略)後半から宮崎さんが入って、彼の好みが滲んできて」(『作画汗まみれ 改定最新版』)と記しています。
ルパンが乗る車が高級車のメルセデス・ベンツSSKからイタリアの大衆車フィアット500に変わったのも、こうした演出意図によるものです。宮崎駿氏は後に、ハングリーでひと山当ててやろうというギラギラしたキャラクターは、原作者のモンキー・パンチ氏による連載当初や、当時の自分たちの気持ちを反映していると語っています。
それでも視聴率の回復は難しく、テレビ第1シリーズは1972年に全23話で終了しましたが、再放送を重ねるうちに人気が高まり、1977年に新たにテレビアニメ『ルパン三世』(以下、テレビ第2シリーズ)の放送が始まります。
後にやって来る「お笑い」や「パロディ」ブームを先取りしたのか、着るジャケットも派手な赤に変わり、ルパンのキャラクター像はより軽く、各話の物語もコミカルさを前面に押し出した第2シリーズは全155話、3年にわたる人気シリーズとなりました。当初、宮崎駿氏にも参加要請がありましたが、その時はもうルパンの時代ではないと、断ったそうです。