書店から消えた名作マンガの数奇な軌跡 矢作俊彦&大友克洋の『気分はもう戦争』
80年代、『童夢』や『AKIRA』と並ぶほど人気があった大友克洋さんの作品が、矢作俊彦さん原作による『気分はもう戦争』です。しかし大友克洋全集に収録されている『童夢』や『AKIRA』と異なり、この「気分はもう戦争」シリーズは、2024年9月現在、入手困難な状況にあるのはご存じでしょうか。
若い人は知らない? 大友克洋さん作画の名作マンガ
先日、とある漫画家さんが、高校生に「水木しげるさんを知っているか」と尋ねたところ、全員が知っていたのに対して、大友克洋さんを知っている人はいなくて驚いた、とSNSに投稿して話題になりました。
確かに漫画家としては寡作ですし、『ゲゲゲの鬼太郎』のように世代を超えてメディア化される作品もないので、若い世代の知名度は低いかもしれません。しかしマンガ界に大きな影響を与えた80年代の大友克洋さんの活躍を、リアルタイムで見てきた身としては隔世の感を禁じえません。
そんな80年代当時、『童夢』や『AKIRA』と並ぶほど人気があった大友克洋さんの作品が、矢作俊彦さん原作による『気分はもう戦争』です。 5年前、38年ぶりの完全新作短編『気分はもう戦争3(だったかも知れない)』が発表されて話題になったので、若い人でもタイトルを聞いたことはあるかもしれません。
しかし大友克洋全集に収録されている『童夢』や『AKIRA』と異なり、この「気分はもう戦争」シリーズは、2024年9月現在、入手困難な状況にあるのはご存じでしょうか。そして同シリーズに続編や、小説版があったことも。 いまだ根強いファンがいる(と信じたい)「気分はもう戦争」シリーズの数奇な軌跡について語りたいと思います。
※本稿ではマンガ『気分はもう戦争』『気分はもう戦争2.1』『気分はもう戦争3(だったかも知れない)』、小説『気分はもう戦争』の内容に触れています。ご了承下さい。
『気分はもう戦争』の連載は1980年3月、双葉社の「週刊漫画アクション」で始まりました。物語の舞台は1980年4月。中国領域にソ連軍が侵攻したことで中ソ戦争が勃発。アフガニスタンで義勇兵として戦っていた日本人「ハチマキ」と「めがね」、アメリカ人「ボウイ」の3人が「どこで死ぬかぐれーは手前の趣味を通してェ」と、中ソ戦争に参戦するためユーラシア大陸を横断する旅をするのを縦軸として、戦争に翻弄される日本人を描いた読切形式の短編を挟んで展開していきます。
「たまには戦争だってしたいんだ、ぼくたちは!」と、いま読むと不謹慎ともとられる宣言で始まる本作は、80年代の軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)を是とした空気への風刺と、徹底的に戦争を茶化してやろうという反骨精神があふれ、ペーソスに満ちた人間ドラマが展開するブラックコメディの傑作です。
後に三島由紀夫賞や日本冒険小説協会大賞を受賞する、ハードボイルドと諧謔を併せ持った矢作俊彦さんが織りなす物語は、大友克洋さんの乾いた画風ともマッチして、連載当初から話題を呼びました。1982年に発売された単行本は、同年の第13回星雲賞コミック部門を受賞。2000年代になっても増刷がかかり続け、累計部数は40万部を突破するロングセラーコミックとなりました。
そして前作から20年近くが経過した2000年12月。矢作俊彦さんは発表の場を角川書店(現:KADOKAWA)の「月刊少年エース」に移し、作画に藤原カムイさんを迎えて『気分はもう戦争2.1』の連載を始めます。
今回の舞台は200X年の日本。日米安保条約の破棄を通告した日本で、在日米軍が不穏な動きを見せるなか、市ヶ谷防衛庁のアンテナが倒壊、都市部のビルが爆破されるなど、戦争さながらの事件が次々と起こっていきます。
前回の主人公であるハチマキとめがね、ボウイも登場します。特に国会議員となっためがねが、韓国・釜山での宴席での帰りに漂着した対馬で、北朝鮮軍と自衛隊、サバイバルゲームチームの乱戦に巻き込まれる姿は、本作の見どころのひとつです。
本作は全7話で連載が中断したと伝えられていますが、終盤には偽女子高生タレントと、彼女を戦場に向かわせて番組を作ろうとするTVディレクター、理屈っぽい中年「スズキさん」という、短い出番ながら非常に印象的な新キャラクターたちも登場し、いよいよ本格的な戦争の始まりを予感させる場面で幕引きとなっただけに、続きが読めないのが残念でなりません。
それでも最終回掲載からおよそ半年後の2002年、B5判の大型サイズで同作の単行本が角川書店から発売されました。ちなみに本作の連載に伴い、2000年には前作の大友克洋版『気分はもう戦争』もB5判の新装版として角川書店から発売されています。
双葉社と角川書店で合わせて計3種類の単行本が気軽に読むことができた、この時代は「気分はもう戦争」シリーズのファンにとって、1982年以来、20年ぶりの幸せな時期だったといえるでしょう。