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昭和時代、マンガの“休載”はアウト! 「作者休んで」の風潮はいつ生まれた?

「月刊Gファンタジー」編集部が、人気マンガ『黒執事』を、作者である枢やな先生の「少し長めのメンテナンス休暇」「心身を整えるため」、長期休載すると発表しました。マンガの休載が重大な出来事で、ネガティブなイメージでとらえられていた昭和時代から、何が変化したのでしょうか。

マンガ誌の「休載」を目にする機会が増えてきた

「月刊Gファンタジー」での長期休載が発表された『黒執事』第1巻(著:枢やな/スクウェア・エニックス)
「月刊Gファンタジー」での長期休載が発表された『黒執事』第1巻(著:枢やな/スクウェア・エニックス)

 先日、「月刊Gファンタジー」(スクウェア・エニックス)編集部が、人気マンガ『黒執事』を2024年7月18日発売の8月号から長期休載すると発表しました。理由は作者である枢やな先生の「少し長めのメンテナンス休暇」「心身を整えるため」で、休載中は過去回を連載形式で再掲載するそうです。

 最近、マンガ誌でこうした休載のお知らせを目にする機会が増えました。表だった告知はなくても『ONE PIECE(ワンピース)』や『名探偵コナン』はある程度定期的に休載していますし、目次ページに注意書きの形で自然と休載が記されている作品も多く見られます。

 休載の事情は一概にはいえません。作者の体調不良や環境の問題、作者と編集部の意見の相違、オーバーワーク回避のためのスケジュール調整、そして純粋に締め切りに間に合わなかったため。しかし、かつてと比べて近年、連載マンガの休載を読者も編集者も温かく受け止めるようになったように思います。

「作者、急病につき休載させていただきます」「作者、取材につき休載させていただきます」といった定型文で休載が告知されていた昭和の時代、マンガの休載は重大な出来事で、ネガティブなイメージでとらえられていました。まだマンガのビジネス構造が雑誌主体だったため、連載マンガは毎回掲載していて当然。特に人気作品は、それが掲載されているか否かによって雑誌が売れる部数、つまり収益が大きく左右されるのですから、編集側も必死です。

 1957年に手塚治虫先生が行方不明になった際、秋田書店の有名な編集者の壁村耐三さんは、若手だった赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、藤子・F・不二雄先生、藤子不二雄A先生の4人に共同で『ぼくのそんごくう』の代筆を依頼したそうです。締め切り当日になって手塚治虫先生の原稿が届いたので、代筆の『ぼくのそんごくう』は掲載には至りませんでしたが、当時、休載がどれだけ忌避されていたかが分かるでしょう。

 また藤子不二雄先生は、その2年前の1955年に短期間で複数の締め切りを破ってしまった咎(とが)で(一説には連載5本の内3本、読切4本の内3本)、連載作品らを打ち切られ、しばらくの間、干されていました。これも休載の重要性を示した事例ですが、この件にはもうひとつ注目すべき点があります。

 打ち切られた連載のひとつ『海底人間メバル』の休載時、トキワ荘の先輩である寺田ヒロオ先生の『怪力ゴジラグローブ』が代原として掲載されたのですが、そのページの柱部分にはこう記されていました。

「海底人間メバルの藤子不二雄先生がご病気のため、今月はざんねんながらおやすみしました」

 もちろん子供の読者相手に「締め切りに間に合わなかったため」とは書けませんから、嘘も方便ということでしょうが、休載のお知らせの定番である「作者、急病のため~」が、すでにこの時代に確立していたのは興味深いです。

 しかし、こうした裏事情を読者も察していったのか、実際に病気や取材かどうかに関わらず「作者、急病につき~」「作者、取材につき~」といった文言は、年を経るにつれて説得力を失っていきます。

 昭和のマンガファンで、そのような文言を見て「ああ、間に合わなかったんだな」と思った人も多いでしょう。

【画像】え、エルフの時間は長いから… こちらが休載多めな『フリーレン』の美しすぎるイラストです(5枚)

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