『ドラクエ4コマ』中井一輝先生インタビュー 柴田亜美先生が認めた奇才
『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』の人気漫画家・柴田亜美先生が「きみはいいぞ!」と絶賛した投稿者だった中井一輝先生。柴田亜美先生とのエピソードや、連載作品についての思い出を語ってくれました。
『ドラクエ4コマ』で独特の存在感を示した中井一輝先生

エニックス(現:スクウェア・エニックス)から発行された『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』(以下、ドラクエ4コマ)は、『ドラクエ』の世界を個性豊かな作家陣が描き、当時の少年少女たちの人気を集めました。
コミックスの1巻が発行されたのは1990年。初期の作家陣には、後に「月刊少年ガンガン」で連載され、TVアニメ化もされた人気マンガ『南国少年パプワくん』の作者・柴田亜美先生も名を連ねていました。
『ドラクエ4コマ』は読者投稿の企画「4コマクラブ」もスタート。投稿作品だけを集めたコミックス『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 4コマクラブ傑作集』も発行されています。第1巻には人気作家が選ぶ賞があり、そのなかに「柴田亜美賞」を受賞した、異彩を放つ投稿者がいました。
当時、学生だったという中井一輝(なかい・かずき)先生です。独特のタッチとオチの破壊力で、投稿者ながら「一度見たら忘れられない」存在感を見せていました。柴田亜美先生は作品に対して「中井くん、君はいいぞ!」と絶賛のコメントを寄せています。
プロデビュー前から先輩作家や編集者にも「かわいがってもらった」という、中井一輝先生。中井一輝先生に、『ドラクエ4コマ』やオリジナル作品についての思い出を聞きました。
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ーー『ドラクエ4コマ』を投稿したきっかけは?
「ゆう坊」こと堀井雄二先生の大ファンだったことが、投稿の動機になると思います。
私が子供だった1980~90年代は、出版業界がカルチャーやトレンドに対してすごく影響力を持っていた気がします。当時はインターネットもなく、みんなで何か盛り上がろう! 面白いことやバカなことをやろう! みたいな企画はだいたい雑誌が旗振り役で、ウケたがりな性格だった私は色んな読者参加企画にハガキ職人としてネタを投稿していました。
当時、堀井雄二先生はコンピュータ情報やゲームの開発裏話などが人気のフリーライター「ゆう坊」としても活動されていて、投稿系の雑誌にも連載を持っておられました。それらの記事を読んで「ゆう坊信者」みたいになっていた私は、初代の頃からとにかく『ドラクエ』に肩入れしまくっていて、その『ドラクエ』の投稿企画なら「自分が参加しないワケにはいかない!」と勝手に思い込んでしまったようです。
それまでは文字ネタばっかりでイラストやマンガは苦手だったのですが、その勝手な思い込みと情熱のおかげでなんとかマンガを仕上げることができました。
ーー初めて入選した作品を覚えていますか?
2巻に掲載された、最後が白黒になって終わるネタです。マンガだから白黒なのは当たり前なんですが、解る人は解ってくれると思います。(編集注:アリーナとクリフトが親しげにしているのを見てうらやんだ勇者が馬車を見ると、自分以外全てカップルに。ショックで白黒になってしまうというオチ)