『鬼滅の刃』猗窩座になる前に産屋敷家と出会っていたら運命は変わったのか?
狛治は鬼殺隊に受け入れられたのだろうか

しかし67人もの人間を手にかけてしまった後では手遅れでしょう。産屋敷は鬼を滅するためであれば、どんな人間でも迎え入れるというタイプではないからです。鬼殺隊の倫理観は一般社会と乖離していますが、戦いの現場から一般人を避難させる手間をかけるほど社会の秩序を重んじています。
しかも狛治の悲劇には鬼の影がありません。あくまでも人間社会のなかで起きた悲劇です。猗窩座が死に際に悟っているように、過剰なまでの強さへのこだわりは「強ければ不幸を防げる」という誤った信念が原点にあると言えます。
狛治が父親を助けたければ犯罪以外の道を模索するべきでした。罪を犯さなければ父親が自ら命を絶つことはなく、悲しくはあっても尊厳に満ちたお別れができたでしょう。恋雪と慶蔵が毒殺されてしまった後、狛治はただひとり素流を受け継ぐものとして、悲しみと怒りを堪えて師から受け継いだ技だけでも後世に残すために活動すべきでした。
しかし実際のところ、上記は極めて残酷で困難極まりない選択です。そして、とても個人では抱えきれないほどの業を背負ってしまったとき、人は鬼になることでその苦しみから逃れます。そして復讐者として不当なほど過剰に割り振られた苦しみを何倍にも増幅して社会に返すのです。
『鬼滅の刃』で一貫して描かれているように、鬼は悲しい存在ですが、同時に絶対に許されることのない存在だといえます。もちろん生来の反社会性、サイコパス性が増幅された鬼が、滅ぼされるべき存在なのは言うまでもありません。
●悪魔の誘惑
無惨には誘惑者としての一面があります。彼は社会や人間関係の軋轢に苦しみ、弱った人間の前にタイミングよく顔を出します。例えば「継国巌勝」も高い実力をそなえた剣士でしたが、決して届くことのない高みを弟の「縁壱」に見出して嫉妬と憧れを混同した結果、無惨の勧誘に屈して「上弦の壱」の黒死牟と化しました。
狛治が鬼になったのは不意打ちのようなもので半ば強制でしたが「すべてがどうでもいい、つらい思いを忘れたい」という感情があったからこそ、無惨が与えた大量の血に耐えてしまったのかもしれません。もしも狛治が万全の状態であれば鬼に転化させられたとしても、大事なものが何も無い世界で100年以上も戦いつづけなかったはずです。
狛治が恋雪と結婚して幸せな家庭を持ち、尊敬できる師匠の後継者として名をあげ、産屋敷の人間が勧誘にやってくる。そして鬼滅隊で新たな呼吸を生み出して多くの人を守る。恋雪と慶蔵が毒殺されていなければ、そんな「もしも」の世界線があったかもしれません。
(レトロ@長谷部 耕平)



