『Zガンダム』最低のクズ男? “仮面の優しさ”で女性を支配する「シロッコ」の狡猾な本性
傍観者としてのシロッコ

ハマーンにはジオン再興という野望がある一方、シロッコは目的がよくわからず、情熱を感じられない部分があります。この辺りがシロッコが好かれない理由ではないかと筆者は思いますが、自身を「歴史の立会人」とか「傍観者」と言っている辺り、どこか無責任な立場に自分を置きたがっているように思えるのです。統治者になったらたくさんの責任を取らないといけないですからね。
最終話「宇宙を駆ける」でシロッコ、ハマーン、「シャア・アズナブル」、そしてカミーユが一堂に会するシーンがあります。この場面は、モビルスーツから降りて4人が生身の身体で向き合うシーンです。このシーンは、舞台が劇場に設定されている点が興味深いです。
ステージにいるシャアにスポットライトが当たり、客席には銃を構えているハマーンがいます(ハマーンがシャアに光を当てたのでしょうか)。カミーユもステージに上がっています。そして、シロッコは客席にいるという配置になっていて、主人公サイドのふたりがステージにいて、シロッコが客席側というのは、歴史の立会人で傍観者を自ら名乗るシロッコの物語でのポジションをよく表わしています。
このシーンで客席の位置から「一握りの天才が世界を動かしてきた」や「ちっぽけな感傷は世界を破滅させる」といった言葉をシャアとカミーユにぶつけるのですが、その姿は客席から演者をヤジっているようにも見えます。結局、彼は自分からステージに上がろうとしないで客席からヤジを飛ばすだけの存在なのかもしれません。
自分は安全な場所(客席)にいながら、言いたいことを言う。女性を利用して戦わせ、統治もやってもらう、自分はそれを客席から傍観するだけ。そういうずるい男がシロッコなのではないでしょうか。『Zガンダム』の主人公カミーユは精神的に未熟な少年ですが、それでも自らさまざまな悲しみや怒りを受け止め、戦い続けて、誰かを利用するようなことはありませんでした。
結局、彼は天才かつ作中で最も優秀な人物だったにもかかわらず、カミーユの捨て身の攻撃で死んでいくことになります。カミーユの精神を道連れにしたのは、彼なりに最後にせめてもの意地を見せたというところでしょうか。
責任を取らずに傍観者でいようとする人物が敵役として『Zガンダム』にいたのは、裏返せば、傍観ばかりしていないで、自ら進んでステージに上がって責任を果たすことの大切さを描いていたのかもしれません。そして、どれだけ優秀であっても、誰かを利用ばかりするだけの人間になってはいけない、そんな教訓を『Zガンダム』から感じるのです。
(杉本穂高)







