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『ばけばけ』全く出てこなくなった生徒「正木」はどこへ? モデルは日露戦争にも参加した軍人にして、ハーンの最後の手紙の相手か

正木のモデルは、小泉八雲が最後に書いた手紙の相手?

藤崎八三郎の話題も多い、長男・小泉一雄の著書『父「八雲」を憶う』(東香出版)
藤崎八三郎の話題も多い、長男・小泉一雄の著書『父「八雲」を憶う』(東香出版)

 小豆沢はハーンが来日後初の著作『知られぬ日本の面影』のなかの「英語教師の日記から」で、「今後わたくしの記憶に最も長く明白に残るだろうと思う」と名前を挙げた優秀な生徒のひとりでした。彼はハーンが熊本に移った後も文通を続け、資料提供の手伝いもしています。

 その後、小豆沢は1894年12月に日清戦争の志願兵として入営し、それから1895年の9月にハーンが辞めてから1年ほど経った五校に入るも、結局休学して1896年3月に退学しました。彼は陸軍士官学校に入り、その際に遠縁の藤崎剛八の養子となって藤崎八三郎に改名しています。

 それから職業軍人になった藤崎は、1897年の夏にハーンの念願だった富士登山に同行し、体力に不安のあった恩師を大いに助けました。その後も東京の小泉家を何度も訪ねた藤崎は、1904年2月に始まった日露戦争に行くことになったとき、ハーンに家族ぐるみでの送別会を開いてもらっています。ちなみに、出征前に結婚した藤崎の妻は「ヲトキ」という名前でした。

 そして、藤崎にまつわる逸話で特に有名なのが、ハーンの絶筆(生涯で最後に書き残した文)となった手紙を送った相手だということです。ハーンは亡くなった1904年9月26日に、戦地にいる藤崎への手紙と数冊の本を送り、その数時間後の夜に亡くなりました。セツの『思ひ出の記』にも、「(ハーンは)午後には満洲軍の藤崎さんに書物を送って上げたいが何がよかろう、と書斎の本棚をさがしたりして、最後に藤崎さんへ手紙を一通書きました」という記述があります。

 また、ハーンの長男・小泉一雄は1931年に発表した著書『父「八雲」を憶う』のなかで、藤崎との思い出を繰り返し語っていました。一雄は藤崎が日露戦争時点で満州軍の総司令部付の大尉で、満州軍総司令官の日本陸軍元帥・大山巌の副官を務めていたと書いています。1931年時点では、藤崎は大佐になっていたそうです。

 その藤崎は無事に日露戦争から帰還し、「先生の最後となった手紙と贈ってくださった本と、それから先生の亡くなられたという知らせと同時に受け取って悲嘆に耐えなかった」という手記を残しました。ハーンから藤崎への手紙は、松江にある小泉八雲記念館に収蔵されています。

 説明が長くなりましたが、藤崎が『ばけばけ』正木のモデルなのであれば、正木は省略された10年の間に軍人となって東京にはおらず、ヘブンが亡くなった時期には日露戦争に行っていた、と考えることもできるでしょう。ただ、それにしても誰も彼に関して言及しないのは不可解です。スピンオフなどで彼のその後が分かれば、視聴者のモヤモヤも晴れると思うので、今後に期待しましょう。

参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『父「八雲」を憶う』(東香出版)、『小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン』(中央公論新社)

(マグミクス編集部)

【画像】え、「正木スゲー!」 コチラが彼のモデル(?)が日露戦争で担った軍人としての重大な役割です

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