スマホゲームの登場人物で「三国武将」「戦国武将」多いのはなぜ? 日本のゲーム史も背景に
必要なのは「数」と……「開発費」!
一般的なスマートフォンゲームでは、多数の登場キャラクターが必要です。どのぐらいかというと、ゲームのサービスが開始された時点で50人はゲーム内ガチャに入っていて、毎月数人程度追加されます。仮に4人だとしたら1年で48人。ゲームは最低でもそのくらいサービスが続くことを前提に作るので、企画段階で約100人を用意できる見込みがなければいけません(例外はあります。また同一人物の色替えや衣装替えをカウントする場合もあります)。武将は大勢いるのでこの条件を満たしやすい上に、誰かの著作物ではないため無料で自由に使えます。知名度が高く、人気もあって、膨大な数を自由に使えるとなれば、題材としては最適です。
もちろん、この条件を満たす題材は他にもあります。先に挙げた神話の神々や世界中の英雄などがそうです。また現代では「人間ではないものを擬人化する」文化が定着したので、戦艦でも、武器でも、相応の数が揃っていれば題材として成立します。その意味では、武将の登場頻度は以前より下がっているのかもしれませんが、特殊なジャンルは思いつくのに時間がかかる上に成功確率も読めません。その点で、武将の優位性は依然保たれていると考えられます。
また武将たちは実在の人物で、特に戦国武将はいわゆる聖地的なものを作りやすいと言えます。これは広報宣伝の観点では重要です。実際にそうした仕掛けをするかどうかではなく、企画段階でそういう案を広げやすいことが重要なのです。
今のスマートフォンゲームの開発費は「億単位」でかかり、ビッグタイトルでは2ケタ億も珍しくありません。それを回収するために、例えば「ガチャ」を回してもらう必要がありますが、これは多くの人から少しずつ課金してもらう想定です。つまりプレイヤーが大勢いないと成立しないビジネスモデルです。そのためにTVでCMを流したり、Web広告を出したりして存在を知ってもらおうとするわけで、企画段階でその手段をたくさん思いつく方が有利です。こうした点でも武将は使いやすい部類に入ると言えるでしょう。
ただし、個人の好みが多様化した現代で、単に武将をそのまま出すだけで上手くいくとは限りません。そのため、例えば織田信長を女の子にしてみたり、不良高校生にしてみたりと、意外性を持たせることによって克服しようとするのだろうと考えられるのです。
(タシロハヤト)