劉備も孔明も退場…横山光輝『三国志』の最終回に登場した「とんでもない男」とは?
横山光輝先生の『三国志』は歴史マンガの古典にして大傑作。未だにネットミームが作られ続けているほど根強い人気を誇ります。しかしその結末まで見届けた方は意外と少ないかもしれません。全60巻の物語を締めくくった意外な男とは……?
すべての英雄たちが去ったあとに……?

「待てあわてるな これは孔明の罠だ」
ある中国の武将がこのセリフを発するマンガのコマ画像をネットで見たことがある人は多いと思います。いわゆるネットミームと化したこの名言の元ネタが横山光輝『三国志』だと知っていても、全巻すべてを読んだことはない……という人もいるでしょう。
横山光輝『三国志』は、1971年から1987年まで連載された、三国志マンガの古典ともいえる大作です。希望コミックス版では全60巻にもなりますが、巻を重ねるごとに登場人物が減っていきます。関羽が戦死してからその傾向は特に顕著になり、張飛、曹操、劉備が立て続けに歴史の舞台から去ります。彼らは横山『三国志』の最初期から描かれた主人公のようなキャラクターでした。
最後に残った諸葛亮(孔明)は人材不足に悩まされながらも劉備が建国した蜀をまとめて、司馬懿(しばい)が指揮する魏(曹操が建国)と闘いますが、彼もまた志半ばで天寿を全うします。こうして魏・呉・蜀を建国した人物が全ていなくなり、新世代へと交代……と思いきや、物語は急展開を見せます。
なんと、劉備の息子である劉禅(りゅうぜん)が、自身の安全と引き換えに魏に降伏してしまうのです。
最後の王、劉禅が放った「胸糞すぎるセリフ」
劉禅は登場時から常に、劉備の後継者としてふさわしくない人物として描かれてきました。彼は酒色に溺れ、政治は全て人任せ。劉備亡き後は諸葛亮が国を維持してきたようなものです。
その諸葛亮が去ってから、劉禅はあっという間に国を売ってしまいました。安楽公として捨扶持(すてぶち)をもらいながら、なんの野心も持たず悠々自適に暮らす劉禅。宴の場で魏の家臣がこう問いかけます。
「どうじゃな 蜀が恋しいと思いませぬかな」
この意地悪な問いに対して劉禅はこう答えました。
「いやいやここは楽しい。蜀が恋しいとは思いませぬ」
もはや怒りを通り越して脱力感しかありません。劉禅にとっては感覚的な快楽がすべてなのです。劉備が「麻のように乱れた」天下を統一しようとした志は受け継がれませんでした。
皮肉を言ったつもりの魏の家臣も「(なんという男じゃ。これでは孔明が生きておっても蜀の運命はどうにもならなかったであろう)」と唖然としてしまいます。
その後、家来に「すこしは悲しそうな顔をするように」とたしなめられる劉禅。無能のダメ押しです。
最後には中国の美しい風景が描かれ、モノローグで「全智全能を使って国造りにはげんだ英雄たちの夢も消えた。あとに聞こえてくるは新しい王朝の足音であった。」と、物語は締めくくられます。
「三国志」作品に共通する「歴史の無情さ」
もとになったお話「三国志」は、陳寿によって編纂された中国の正式な歴史書です。その後、羅漢中によって正史に脚色と人間ドラマが加わった『三国志演義』が生まれます。
横山光輝先生の『三国志』は『三国志演義』の影響が大きく、曹操を主役に据えた『蒼天航路』などの他作品も同様です。『蒼天航路』では曹操の死によって「乱世の夢」が終わりを告げ、そのままクライマックスを迎えます。
『三国志』をどのようにアレンジするかは作家によってさまざまですが、共通しているのは歴史の無情さです。どんな魅力的な英雄も病気や闘い、裏切りに倒れ、苦難の末に建国した国も新しい王朝へと交代します。永遠に続くものは存在しないのです。
建国までの思いが強く、その道程が困難であるほど、その後の没落はいたたまれないものです。横山光輝『三国志』の最後を締めくくる劉禅がここまで暗愚に描かれたのは、建国までの光があまりにも強かったせいかもしれません。
栄枯盛衰は世の常です。同作が今なお人びとを惹きつけてやまないのは、この世の無常を妥協なしに描いているからかもしれません。
(レトロ@長谷部 耕平)





