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『ナウシカ』原作者の宮崎駿は映画化反対だった? それでも決意した理由とは

スタジオジブリ作品を中心に、多くのアニメーション映画を生み出してきた宮崎駿監督は、日本におけるアニメーション映画監督の代表格ともいえるでしょう。彼の代表作ともいえる『風の谷のナウシカ』には、映画化の際に意外なエピソードがありました。

「マンガでなければできないこと」を目指していた作品

『風の谷のナウシカ』場面カット (C)1984 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, H
『風の谷のナウシカ』場面カット (C)1984 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, H

 宮崎駿監督は、「スタジオジブリ」のアニメーション作品を中心に、多くの名作を生み出してきました。誰もが認める世界的アニメーション映画監督の宮崎さんですが、初期の代表作『風の谷のナウシカ』には、意外な誕生秘話があったのです。

 多くの方がご存じの通り、『風の谷のナウシカ』は、アニメーション映画より先に、雑誌「アニメージュ」(徳間書店)で宮崎監督本人による連載が始まっていました。

 書籍「スタジオジブリ物語」ほか各文献では、マンガ『ナウシカ』連載開始までの経緯が明かされています。1981年の「アニメージュ」では「宮崎駿 冒険とロマンの世界」という特集が組まれており、その特集のなかには映画の企画用として描かれたイメージボードが多数ありました。アニメージュ編集部は、そのなかのひとつをもとに『ハヤオ戦記』『戦国魔城』というタイトルをつけた企画書をまとめ、1981年の徳間グループの関係者による「映像会議」に提出します。

 しかし、「原作がないものは当たらない」という観点から、企画は流れてしまいました。しかし、ここから、当時徳間書店の編集者だった鈴木敏夫さん(現スタジオジブリ代表取締役議長)主導で、宮崎監督が「アニメージュ」にマンガを連載するというアイディアが浮上します。

 宮崎監督は連載開始の際に、編集部に「三つの条件」を出したそうです。そのうちのひとつが「アニメ化を前提として描かない」というものでした。それはアニメ化を否定する意図ではなく、「マンガを描くのならばマンガでなければできないことを目指したい」という、宮崎監督の思いが込められていたようです。

 そして、『風の谷のナウシカ』の連載が始まると、作品の魅力に多くの読者から反響が集まります。一般読者だけではなく、『童夢』『AKIRA』などで知られる大友克洋さんや、数々のヒット少女マンガを生み出してきた竹宮惠子さんなども、『ナウシカ』を高く評価していました。

 このような反響もあり、『ナウシカ』アニメ映画化の話が進みます。鈴木さんは最初から映画化を見込んでいたそうですが、宮崎監督は先述の理由からかなりの葛藤を感じつつも、最終的には映画化を受け入れることになりました。

 その理由は、いまとなっては驚きですが、当時の宮崎監督には他に映画にできそうな作品がなく、『ナウシカ』が「映画の仕事の唯一のチャンスだったから」というものです。当時の状況について、宮崎監督は失業状態だったと回顧し、成算がなくてもやるしかない状況だったことを明かしています。

 そしてトップクラフト制作で作られた『ナウシカ』の映画化成功が、スタジオジブリの設立につながり、宮崎監督は『天空の城ラピュタ』や『魔女の宅急便』、『もののけ姫』、そして最新作の『君たちはどう生きるか』など、数々の名作を手掛けられることになりました。

※宮崎駿監督の「崎」は「﨑」が正しい表記。

参考書籍:「スタジオジブリ物語」(集英社新書ノンフィクション)「ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ」(文春ジブリ文庫)

(LUIS FIELD)

【画像】え…っ? 圧巻すぎる… コチラが「完全立体化」された『ナウシカ』の「腐海」世界です

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