「リアル『ギャラリーフェイク』だ」2025年に相次いだ贋作事件 フジタならどう見る?
フジタならどう見る? 美と腕前への評価

もし『ギャラリーフェイク』の主人公フジタが、このベルトラッキ事件に遭遇したらどう反応するでしょうか。
「贋作」に対するフジタのスタンスを確認してみましょう。フジタは真贋そのものよりも、そこに美があるかどうかを重視している節があります。
たとえばコミックス第12巻収録の「贋作王・バスティアニーニ」というエピソードでは、19世紀イタリアの彫刻家バスティアニーニの贋作を肯定的に評価しています。贋作だろうが真作だろうが、人に感動を与える美があることを何よりも重視しているといえるでしょう。
また、コミックス第4巻収録の「馬鹿印のバカ一」に見られるように、フジタはホンモノの腕がある者に対しては敬意も援助も惜しみません。
では、ベルトラッキ氏に対してもそのようなスタンスを取るのでしょうか。おそらく、フジタの評価は複雑なものになるかと思われます。
●プロとして許しがたい怠慢と傲慢
フジタは悪人ですが、カモにしているのは鑑定書だけで絵を買うような成金たち、嫌っているのは権威にあぐらをかいた美術界の重鎮や鑑定家などです。その点で、ベルトラッキ氏が美術界の権威を完璧に騙し抜いたことについては、フジタはある種の共感を覚えるかもしれません。
しかし、チタニウムホワイトの件は話が違います。フジタは絵画修復のプロフェッショナルでもあり、画材や技法に対する知識は完璧です。当時存在しなかった顔料を使ってしまうなど、プロとして許しがたい怠慢でしょう。絵の具メーカーが成分表示を偽っていたとはいえ、調べもせずに使用するのはありえない、と考えそうです。
さらに決定的なのは、ベルトラッキ氏本人の発言でしょう。海外メディアの取材に対し、氏は「コピーではなく、新しい絵を生み出すのだ」などと述べています。美には謙虚で、作家へは最大の敬意を払うフジタのこと、「自分の絵は巨匠の絵そのもの」という傲慢な態度は許せないのではないでしょうか。
たとえばコミックス第3巻収録の「驕れる円空」でフジタは、江戸時代の仏師「円空」が「オレの目と腕を通して、現代に甦った」と驕る贋作者の鼻をこっぴどくへし折るものの、その腕だけは認めるというスタンスでした。
ベルトラッキ氏に対しても、「作品」そのものについては、純粋に絵の出来栄えを褒め技術的な腕前を認め、そしてカモにしている成金相手に真贋グレーなまま売りつけることでしょう。鑑定家たちを欺いた手腕も、内心では評価するかもしれません。ただ、現状のベルトラッキ氏本人に対しては厳しい評価を下すように思われます。チタニウムホワイトの件を挙げ「三流だな」と斬って捨てるのではないでしょうか。
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最後に、徳島県立近代美術館の対応について触れておきましょう。同館は贋作と発覚後、あえて作品を無料で公開しました。購入時に真作と判断した経緯や調査結果をパネルで掲示するなど、説明責任を果たそうとする美術館側の誠実さが感じられます。
フジタならこれをどう見るでしょうか。きっと、同じ作家の「未発表の」真作を、名前も告げずそっと美術館に置いてくるような気がします。タダで他人になにかを与えるような慈善家ではありませんが、人情家ではあるからです。
贋作事件を通じて改めて考えさせられるのは、「美術品の価値とは何か」という根源的な問いです。作家の名前が価値を決めるのか、それとも作品そのものが持つ美が価値なのか。『ギャラリーフェイク』は、そうした美にまつわる問いを投げかけ続ける作品といえるでしょう。
(マグミクス編集部)

