劇場オリジナルアニメは「厳しい」のに、次々登場するのはナゼ? 背景にある「夢と狂気」
夢を形にするプロデューサーの「狂気」

「宮崎アニメ」の宮崎駿監督にはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、「新海アニメ」の新海誠監督にはコミックス・ウェーブ・フィルムの川口典孝プロデューサーが、それぞれ制作スタジオの責任者としてついています。
なぜか語られることが少ないのですが、劇場オリジナルアニメという夢を形にするためには、ずば抜けた能力を備えたプロデューサーの「狂気」が必要不可欠です。鈴木敏夫プロデューサーは、『風の谷のナウシカ』を形にするために、宮崎駿監督にわざわざ「原作マンガ」を描かせ、「原作がこんなに売れてるんだからアニメ映画にしてもヒットは間違いないはずだ」と、ぶち上げたという伝説があります。もちろん、当時からマンガ版の『風の谷のナウシカ』が売れていたかというと、まったくそんな事実はありません。
具体的な名前は言えないのですが、あるプロデューサーは、自分が見込んだ監督に劇場オリジナルアニメを作らせるためだけに、自宅を担保にして銀行から資金を借りたという話も聞いたことがあります。
『ドラえもん』や『鬼滅の刃』のように、お客さんがついている原作のアニメ映画化なら(それでもビジネス的には正気を疑うレベルの判断なのですが)、まだ理解はできます。これを、ヒットするかどうかなんてフタを開けてみなければ分からない、オリジナル作品でやるのです。ある意味ではクリエイター以上の「狂気」を、プロデューサーが持っていなければならないのです。本当に独創性のある「あの人が作った作品」には、ずば抜けた能力を備えたプロデューサーさえ「狂わせる」ほどの魅力があるという意味でもあります。
「あの人が作った作品」として劇場オリジナルアニメを生み出す監督になることは、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄先生や『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴先生と同じ位置に立つ、原作者になることでもあります。
劇場ビジネスのリスクの高さは以前にも書きましたし、有力な原作者を生み出すことの困難さや意味を、数字の面から語ることもできます。しかし、この話題の本質は、もっと別のところにあるように思います。
栄光への野心と人間臭さにまみれたクリエイターの天才と、その天才に酔いしれ溺れ死ぬことすら辞さない超優秀なプロデューサーの狂気。歴史に残る劇場オリジナルアニメのヒット作は、そのふたつが結びついたところにしか生まれない、奇跡の産物なのです。
(おふとん犬)



