『牙狼』シリーズの雨宮慶太監督、「日本人による独自のファンタジー」を追求
失われた景色に対する、日本人特有の想像力

ーー今では、ファンタジーものは日本でもいろいろと作られるようになりましたが、『牙狼』を始めた頃は、「和製ファンタジー」を成立させるのに難しさがあったんじゃないでしょうか?
今でも難しいですよ。欧州では「東洋人にはサーカスとファンタジーは描けない」と言われています。日本人の演出家が日本人のキャストを使って、どうすればファンタジーとして成立するかを考えたのが『牙狼』なのです。
ーー雨宮監督の世界観はどのように育まれたのでしょうか? 雨宮監督は1959年千葉県浦安町(現・浦安市)生まれ。東京ディズニーランドが造成されていく過程を、かなり間近で見ていたんじゃないでしょうか。
東京ディズニーランドが完成したのは1984年だったよね。うちの父親は不動産をやっていたので、地元の土地事情に詳しかったんです。僕が3歳のとき、祖父と一緒に浦安の海へ出掛け、埋め立て工事を眺めていたことがありました。祖父は広大な埋め立て地を指して「ここに何ができると思う?」と僕に尋ねるわけです。
当然、幼い僕には分かりません。祖父は「ここにディズニーランドができるんだ」と説明したんですが、そのときは祖父が冗談を言っているんだろうと思っていました。ディズニーランドができる20年以上も前でしたからね。
浦安もそうですけど、日本の風土はそのように都市開発でどんどん変わっていったんです。浦安は海が埋め立てられて、町の広さが倍以上になり、景色が大きく変わっていった。そんななか、昔からある神社やお寺、一本杉などが辛うじて残されていった。そういった古い社(やしろ)や一本杉などを線でつなぐことで、昔の風景を思い浮かべることができるわけです。「あぁ、ここから先は昔は海だったんだな」みたいにね。
ーー失われていく世界に対する想いが、日本人ならではのファンタジー観を生み出しているのでしょうか?
日本人はその感性がとても大きいと思います。宮崎駿監督の『となりのトトロ』(1988年)も、失われた雑木林に対するファンタジーですよね。失われていくものに対する想いが、日本人の独自のファンタジーになっていると僕は考えています。それもあって、『牙狼』は神社の境内などで撮影することが多いんです。その点、欧州は戦争に巻き込まれていない街は昔のまま残されているから、想像力はあまり働かないんじゃないかな。