ディスクシステム『謎の村雨城』の熱量 30年以上の時を越えてBGMが頭の中に!
1986年4月14日、ファミコンディスクシステムのオリジナルソフト第二弾として『謎の村雨城』が発売されました。『スーパーマリオブラザーズ』のBGMを手掛けた近藤浩治氏による和風テイストのBGMが強い印象を残す作品です。
脳裏に刻まれたBGM
1986年4月14日にファミコンディスクシステムのオリジナルソフト第二弾として発売された『謎の村雨城』は、『スーパーマリオブラザーズ』のBGMを手掛けた近藤浩治氏による和風テイストのBGMが強い印象を残す作品となりました。当時、ディスクシステムを持っていた友達の家に通い詰めて遊ばせてもらった記憶を持つ、ライターの早川清一朗さんが当時の記憶を語ります。
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『謎の村雨城』の記事を書くと決まったとき、不意に頭の中で、道中のBGMが流れ始めたことに驚かされました。筆者が『謎の村雨城』をプレイしていたのは33~34年前のこと。その後、ゲームボーイアドバンスで発売されたときのCMで使われていたので耳にしていた可能性はありますが、それでも記憶の片隅にずっと刻み込まれていたことに代わりはありません。『謎の村雨城』のBGMがどれほど印象的だったのか、改めて思い知らされました。
筆者が初めて『謎の村雨城』を目にしたのは、近所に住んでいた友達の家に遊びに行ったときのことでした。なんとなく自慢げな友達に連れられ、通してもらった部屋のファミコンの下に、見知らぬ四角い箱のような物体が置かれていました。そう、その友達はディスクシステムを買ってもらっていたのです。
後に筆者も購入するのですが、まだその時期は発売からそれほど時間が経っていなかったのでディスクシステムを持っていた友達はほとんどおらず、とてもうらやましかったことをよく覚えています。そして友だちがディスクシステムの電源を入れて見せてくれたのが『謎の村雨城』だったのです。
まず驚かされたのは、オープニング画面での落雷です。激しく明滅する画面は、ファミコンでは初めて見るものだったと思います。この明滅、後に発売されたゲームボーイアドバンスのファミコンミニ版やバーチャルコンソール版ではかなり抑えられているそうですが、おそらく1997年に発生した「ポケモンショック」の影響とみて間違いないでしょう。