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リアルすぎる『火垂るの墓』の空襲シーン 元になった高畑勲の実体験とは

スタジオジブリの名作『火垂るの墓』が、2025年8月15日に「金曜ロードショー」で放送されます。リアルすぎる空襲シーンは、高畑勲監督の実体験から生まれていました。

「シャーッ」という音とともに降ってくる焼夷弾

『火垂るの墓』ポスタービジュアル (C)野坂昭如/新潮社, 1988
『火垂るの墓』ポスタービジュアル (C)野坂昭如/新潮社, 1988

 高畑勲監督の名作『火垂るの墓』が、終戦記念日に「金曜ロードショー」で放送されます。終戦80年を迎える2025年、この作品が地上波で放送される意義はとても大きいでしょう。

『火垂るの墓』は、太平洋戦争末期の神戸が舞台です。主人公の「清太」と妹の「節子」は神戸で暮らしていましたが、空襲で家が焼かれ、母親も死んでしまいます。この空襲が兄妹の運命を分けたと言ってもいいでしょう。

 リアリズムを志向する高畑監督は、空襲の描写も徹底してリアルに描きました。B29から投下されるM69焼夷弾が次々と飛来して街を襲うシーンは、とても臨場感があって恐ろしく描かれています。

『火垂るの墓』の原作者、野坂昭如さんが経験したのは1945年6月5日の神戸大空襲ですが、高畑監督の脳裏には、自身が体験した岡山大空襲のことがあったそうです。当時、高畑監督は9歳でした。1945年6月29日未明、B29およそ140機が岡山県岡山市を空襲し、1737人もの犠牲者を出しています。

 空襲だと知って飛び起きた高畑監督は、姉とふたりで岡山市内を逃げ惑ったそうです。人の流れに乗って商店街を走っているふたりが、「シャーッ」という音を聞いて見上げると、火の雨が点々と降ってきていました。

 火の雨が自分たちの方向に落ちてきたら、すぐに軒下に隠れます。すると、ものすごい音とともに焼夷弾が落ちてくるのです。道路に落ちた焼夷弾は火を噴きながら跳ねて転がり、屋根に落ちた焼夷弾も路上に転がり落ちてきて、一瞬で地面におびただしい数の焼夷弾が燃え上がります。

『火垂るの墓』の作中にも、「シャーッ」という音の直後に火の付いた焼夷弾がバラバラと降ってきて、清太と節子が軒下に飛び込んで隠れるシーンがありました。これらの描写は、高畑監督の生々しい実体験が元になっています。

 その後、姉と逃げ続けていると、夜明け頃に「黒い雨」が降ってきます。原爆投下や空襲の後は、上昇気流が起こり、煤(すす)などを含んだ黒い雨が降るのです。

 高畑監督は、はぐれてしまった家族を探すために街を歩いている最中、そこかしこに転がっていた黒焦げになった死体や、蒸し焼きになった死体を目撃しています。いずれも『火垂るの墓』の作中にもある描写です。

 岡山大空襲によって、岡山市は市街地の73%が焼け野原となりました。空襲警報が鳴らなかったことや、焼夷弾への対策が伝わっておらず、防空壕などに逃げ込んで蒸し焼きになった人が多かったことから、多くの犠牲者が出たといいます。

 九死に一生を得た高畑監督は、自らの戦争体験をスタッフに伝え、『火垂るの墓』を作り上げました。この作品を通して、多くの人が戦争の悲惨さを知ってきましたし、今後もそうなるでしょう。

 高畑監督は戦争経験を語った講演会を、こう締めくくっています。

「憲法九条を基盤にした賢明でしたたかな外交努力、平和的国際貢献こそが最大の抑止力であり、世界の全ての国との相互理解を前進させるのが日本の唯一の道です」。

 この言葉を胸に刻み、改めて『火垂るの墓』を観てみたいと思います。

参考書籍:高畑勲著『君が戦争を欲しないならば』(岩波書店)、高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店)

(大山くまお)

【画像】市街地の73%が焼け野原 こちらが高畑監督が経験した大空襲直後の岡山市内の姿です

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