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庵野監督が惚れた特撮『マイティジャック』 視聴率は苦戦も、歴史に残る「メカ描写」

庵野秀明監督の責任編集で「マイティジャック資料写真集 1968」が発売されました。『マイティジャック』は、円谷プロが『ウルトラセブン』と並行して制作した海洋SF特撮番組です。破格の予算で制作されたドラマは視聴率こそ伸びなかったものの、特撮番組の最高峰として今も語り継がれています。

ウルトラシリーズの成功受け、「渾身の1時間ドラマ」が始動

「ウルトラ特撮PERFECT MOOK vol.31 マイティジャック/戦え!マイティジャック」(講談社)
「ウルトラ特撮PERFECT MOOK vol.31 マイティジャック/戦え!マイティジャック」(講談社)

 2024年2月26日、庵野秀明監督の責任編集で「マイティジャック資料写真集 1968」が発売されました。円谷プロが社運を賭けて取り組んだ、日本で最初で最後の1時間の海洋SF特撮番組で、破格の予算で制作された過去最大級の特撮ドラマでしたが、視聴率は振るいませんでした。なぜ埋もれてしまったのでしょうか。

 1968に放送された『マイティジャック』の原型は、円谷プロ創始者である円谷英二氏のボツ企画です。1963年に陸海空の万能原子戦艦を描いた『海底軍艦』のテレビ版として考案されたものの、実現されませんでした。ところが「ウルトラ」シリーズの成功によって、円谷プロの株が急上昇し、同企画が再浮上します。フジテレビから1本1000万円という「ウルトラ」シリーズの2倍の予算を提示されました。

 そして、『マイティジャック』は『サンダーバード』のようなメカ特撮と、当時流行りだった『007』シリーズなどスパイものの要素を取り入れた大人向けドラマとして制作されます。放送は土曜8時からの1時間で、海外では1時間の特撮ドラマが制作されていたものの、日本では初めての挑戦でした。

 秘密機関「マイティジャック」の11人のメンバーが万能戦艦マイティ号に乗り込み、「悪の組織Q」と戦う……という特撮アクションドラマでした。

 円谷英二監督の孫である円谷英明さん著「ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗」に、「マイティ号が水中から水面に姿を現し、徐々に離水するスローモーションのシーンは、機体にまとわりつく水の動きなど凝りに凝ったもので、その雄大でリアルな映像は『さすが円谷』と言われ、前評判はとても高かったのです」と書かれているように、『マイティジャック』は期待された特撮でしたが、結果は、視聴率が伸びず26回の予定が13回で打ち切りとなります。

 不振の要因は、ひとえに「準備不足」にあったようです。スケジュールは当初の予定より半年も繰り上げられ、放送日に間に合わせるため、企画が練り上げられないまま急ピッチで撮影されました。そのためにいろんな方面で制作現場に混乱が起きました。

 まず出演する俳優と制作サイドに溝が生まれます。すでに映画界でスターだった俳優がマイティジャックの隊服を着るのに激しく抵抗したといいます。

 今でこそ特撮番組の出演をきっかけにブレイクする俳優が多くなりましたが、当時は特撮番組を格下に見る風潮がありました。特撮番組の色が付くのを怖れて、戦艦のなかにいるのになぜか背広を着ているという、奇妙な映像になりました。

 スパイものといっても、『マイティジャック』のクライマックスはあくまでもメカの戦闘シーンです。主役はメカであり、俳優は二の次という扱いが、映画俳優のプライドを傷つけられたのではないか、とも想像できます。

 対象視聴者である大人も同じように特撮に抵抗があったようで、平均視聴率が8.3%と、当時の円谷作品を大きく下回るものでした。『ウルトラセブン』が放送中でしたが、怪獣も宇宙人もヒーローも出てこない『マイティジャック』は子供には物足りないものだったでしょう。結局、『マイティジャック』は視聴者層のどこにも響かない作品になってしまいました。

【画像】「えっ…? 欲しいかも」これが当時売れに売れた、「マイティ号」です(6枚)

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