映画『毒娘』押見修造×内藤瑛亮監督対談【後編】 「クソムシ」と呼ばれた体験が覚醒のきっかけ
友達がいなかった学生時代の思い出

ーー10代の少年少女の揺れ動く心理をナイーブに描く内藤監督と押見さんに、ご自身の思春期時代を振り返ってもらえればと思います。
内藤:マリリン・マンソンとナイン・インチ・ネイルズばかり聴いて、学生時代は友達がいませんでした(笑)。休み時間は自分の机の上に突っ伏して、「僕に関わらないでください」みたいな感じで過ごしていました。
押見:高校生の頃ですか?
内藤:中学生の頃からだんだん暗くなり、高校のときがいちばん暗く、友達がまったくいなかったんです。
押見:僕も高校1年から2年の途中まで、クラスメイトとは話さなかった。ずっとひとりでした。
ーークリエイターにとって、孤独な時間も大切なようですね。
内藤:今、振り返ると「痛い」自尊心みたいなものを持っていたのかもしれません。「友達がいない」んじゃなくて「友達をつくらないだけだ」みたいな(苦笑)。
押見:でも、友達はほしかったですよね(笑)。
ーー『惡の華』で仲村さんが口にする「クソムシが」というセリフは、押見さんの実体験だとか。

押見:はい、あのセリフは実際に僕が言われた言葉です。「クソムシが」と言ったのは今の僕の妻なんです。ケンカして罵倒された際に言われた言葉です。「あっ、いい言葉だな」と思いました(笑)。
内藤:「クソ」じゃなくて「クソムシ」という表現は、絶妙なかわいらしさがありますね。
押見:妻とは大学で知り合ったんです。マンガを描き始めたのは、妻と出会ってから。妻と出会ったことで、孤独が癒やされたところは確かにあったと思います。「クソムシが」と言ってくれた妻には感謝しています。妻のおかげで、自分を客観視できるようになった。妻と出会っていなければ、漫画家にもなれず、野垂れ死んでいたかもしれません。
内藤:僕の場合は、映画館だけが癒しの場所でした。高校の卒業式の後、同級生たちは集まっていたけど、僕はそっちには行かず、映画館にひとりで行きました。そのとき観た映画は、M・ナイト・シャマラン監督の『アンブレイカブル』(2000年)だったかな。
押見:死なない男とガラスのように壊れやすい男の物語(笑)。
内藤:押見さんとは映画の趣味も合っている。お互いに『ゴーストワールド』(2001年)が大好き。あの映画を観て、「社会にイラついているのは自分だけじゃないんだ」と思えた。スクリーンを通じて、映画のなかの女の子たちとつながっているように感じたんです。
押見:僕も公開当時に映画館で観ました。
内藤:もしかしたら、あの映画を通して、押見さんとはすでにつながっていたのかもしれませんね。