『AKIRA』単行本の追加エピソードに「どういう意味?」 浮かぶ“マンガの神様”の影
追加された「エピローグ」とは?

単行本で追加されたエピローグでは、鉄雄とアキラの覚醒によって、再び被災したネオ東京に国連の監査団が訪れます。そこに武装した金田やケイたちが現れ、「大東京帝国AKIRA」の幕を背後に「俺たちの国から出ていけ」と叫びます。そして「アキラはまだ俺たちの中に生きているぞ!」と言い残して、バイクで去っていくのです。
さらにその金田とケイのバイクの横に、鉄雄や死んだはずの仲間まで現れ、崩壊したビルの向こうに超高層ビルがそびえたつ幻想が広がり、『AKIRA』の物語は終わりを迎えます。
単行本で初めて読んだ時は困惑しました。「金田たちは大東京帝国と戦っていたのでは?」「最後の巨大なビル街は……?」、そして何より「アキラはまだ生きているぞ?」とは、どういう意味なのか。
この最終巻発売から、わずか2か月後の1993年5月、NHK-FMの『日曜喫茶室』に出演した大友克洋さんは、興味深いことを語っています。子供の頃は『鉄腕アトム』など多くの手塚治虫作品を読み、影響を受けた。しかし自身がマンガを描き始めた70年代は、古い文化を一掃して新しいものを作ろうというニューウェーブの風潮が強く、自分も『鉄腕アトム』のようなマンガから離れて、マンガより写実的で現実に即した劇画を描き始めたと。
ところが80年代に入り、手塚治虫さんのようによりイマジネーションに満ちた世界を描きたいと思うようになり、『Fire Ball』『童夢』といったSFマンガを手掛けます(ちなみに『Fire Ball』にはATOMという人工知能が登場します)。そして、その先にあったのが『AKIRA』でした。
2年後のNHKで放送した『手塚治虫の遺産 アトムとAKIRA~大友克洋が語る手塚治虫~』では、巻末の謝辞で手塚治虫さんの名を挙げたことについて、大友克洋さんは「大それた動機はない」とことわった上で「漫画家」であれば「SPECIAL THANKSと言ったら手塚先生も入るんじゃないか」と思って書いたと、その心情を明かしています。
これらを踏まえた上で『AKIRA』のエピローグを読むと、金田が「大東京帝国AKIRA」の旗を掲げる姿は、70年代のニューウェーブのようにただ昔の文化を否定するのではなく、次の段階に進むために先人が残してくれた礎(いしずえ)に立つ、という宣言にも思えます。
さらに『日曜喫茶室』で大友克洋さんは、『AKIRA』の原動力となったイマジネーションについて、劇画のような殺伐としたものではなく「手塚さんが未来の街を描いたように」世界を作りたかったと説明しています。その後で「まあ、僕が描くと廃墟になっちゃうんですけれど」と続きますが、鉄雄ともういない仲間に先導されるように走った金田とケイの目前に現れる巨大ビル群は、手塚治虫さんが初期SFでよく描いていた摩天楼にも重なります。
『AKIRA』という大作を完結させて、創作の意欲をどのように維持すればいいのかを考えていた大友克洋さんは、手塚治虫さんの初期SF三部作と言われている『来たるべき世界』『メトロポリス』『ロストワールド』を読み、「このなかに全部あるんじゃないか」とショックを受けたと、『手塚治虫の遺産』で語っています。
おそらく手塚治虫さんは、初期SF三部作を描いている時、今までにない新しいものを作っている楽しみを感じていたのではないか、そしてその楽しみが、手塚治虫さんが一生マンガを描き続ける原動力になったのではないかと。
『来たるべき世界』『メトロポリス』『ロストワールド』のSF三部作での興奮を原動力として『鉄腕アトム』など多くの作品を手塚治虫さんが描き、それらに興奮した大友克洋さんが『Fire Ball』『童夢』『AKIRA』を描き、さらにそれに興奮した多くの漫画家が、それぞれの作品を生み出していきます。
最後の「アキラはまだ生きているぞ」とは、こういったことなのでしょう。
大友克洋さん自身、2001年に高層ビル「ジグラット」を舞台とした手塚治虫原作の長編アニメ映画『メトロポリス』の脚本を手掛けますが、『AKIRA』のラストの超高層ビルの幻影は、こうした想像力の継承を先取りしたものだったのかもしれません。
(倉田雅弘)

