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『はだしのゲン』作者がアメリカで受賞した「アイズナー賞」とは何か? 評価されたポイントは

「歴史的な功績を残した人物」と認められた

『はだしのゲン』の英語版として発売された、『Barefoot Gen vol.1: A Cartoon Story of Hiroshima』(Last Gasp of San Francisco)
『はだしのゲン』の英語版として発売された、『Barefoot Gen vol.1: A Cartoon Story of Hiroshima』(Last Gasp of San Francisco)

 さて、今回中沢啓治さんが受賞した「コミックの殿堂」(Hall of Fame)は、上記のような該当年の業績を評価する通常のアイズナー賞とは別枠で、マンガ業界に歴史的な功績を残した人物に贈られる名誉賞と言えるものです。

 これまで同賞を受賞して殿堂入りした日本人は、手塚治虫さん、小池一夫さん、小島剛夕さん、大友克洋さん、宮崎駿さん、高橋留美子さん、萩尾望都さんの8人で、いずれもマンガ史における転換点となる作品を生み出し、多くのフォロワーを生んだ作家といえるでしょう。

 歴史的視野や文化的観点が必要となるためか、同賞の審査員は通常のアイズナー賞とは別枠で選抜され、審査員が推薦した人物は有権者の投票を経ずして、「コミックの殿堂」入りを果たすことができます。

 中沢さんは審査員の推薦による受賞で、アイズナー賞公式サイトに掲載された紹介文によれば、自身の広島での被爆体験を数々のマンガ作品に昇華させた点と、ライフワークとなった『はだしのゲン』が、日本のマンガとして初めて欧米の言語に翻訳された作品であることが評価されたようです。

 さて今回、中沢さんが自らの体験をマンガで表現したことが評価されましたが、賞の冠となっているアイズナー氏が初めてグラフィックノベルと謳(うた)った『ア・コントラクト・ウィズ・ゴッド(A Contract with God and Other Tenement Stories)』も、作者自身の体験が反映された作品であり、この点で共通しています。

『ア・コントラクト・ウィズ・ゴッド』が刊行されたのは1978年。娯楽作品中心の商業マンガに見切りをつけたアイズナー氏が、より文学的・芸術的な表現を模索し、十代で亡くなった娘アリスへの想いを源泉として描いた作品です。

 一方、それまで娯楽作品を中心に描いていた中沢さんも、1966年の母の死を契機に被爆の過去から逃げず、原爆を題材とした自伝的作品を描き始めました。時も国も違えど、ふたりの作家の軌跡には、どこか重なる部分を感じます。

 後者の翻訳について補足をすれば、『はだしのゲン』の初翻訳は、1976年に作品を世界に伝えるために東京でボランティア団体が創設され、英語、ドイツ語、エスペラント語、インドネシア語、ノールウェイ語、スゥエーデン語訳に取り組みました。

 結果、英語版を4巻まで、他の言語は1巻のみ出版して、団体は解散しましたが、その志を引き継いだ<プロジェクト・ゲン ロシア班>が、1990年代後半からロシア語訳を現地にて刊行開始。2000年には「中沢啓治作 マンガ 『はだしのゲン』翻訳・出版グループ<プロジェクト・ゲン>」 に改名して英語版の翻訳にも着手し、2001年にはロシア語版が、2009年には英語版が全巻刊行されました。現在では他にも24以上の言語で翻訳されています。ロシア語版の刊行後には、ロシアとウクライナの読者から切実な感想が中沢さんに届いたそうです。

 また第二次世界大戦での原爆使用の是非についての議論が盛んな近年のアメリカの風潮も、今回の殿堂入りへの追い風となったことでしょう。実際、Wikipedia英語版の『はだしのゲン』の項には、昨年のクリストファー・ノーランの映画『オッペンハイマー』の公開後に『はだしのゲン』への関心が再び高まった、と記されています。

 ウクライナ紛争の終わりも見えず、核の恐怖もいまだなくならない今日だからこそ、戦争が市民にもたらす悲劇を追求し続けた中沢さんの、今回のアイズナー賞の「コミックの殿堂」入りは、大きな意義と課題を持った事象だと思います。

(倉田雅弘)

【画像】「悲惨な戦争」ばかりじゃない。『はだしのゲン』で描かれた「懐かしい遊び」(5枚)

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