とっくに答え出てた? 『ウルトラマン』ジャミラへのイデ隊員の言葉は「為政者か犠牲者か」
『ウルトラマン』で「ジャミラ」が倒されたあとの、「イデ隊員」のセリフは印象的です。長年この言葉の一部に関して、ファンの間で議論されてきたトピックもあります。
「犠牲者」なのか「為政者」なのか すでに決着はついていた

『ウルトラマン』の第23話「故郷は地球」は、本作のなかでも屈指の悲劇的エピソードです。
この回に登場した「ジャミラ」は、もともとはとある星に不時着した宇宙飛行士で、救助を待つうちに異形の怪獣へと変貌した存在でした。彼の母国は国際社会からの批判を避けるために、この「不時着」事故を隠蔽します。見捨てられたジャミラは、故郷である地球へ復讐しに飛来してくるのでした。
科学特捜隊員からすれば、先輩のような存在であるジャミラの討伐を命じられ、普段は明るいムードメーカーの「イデ隊員」が激しく葛藤する場面はいまなお印象的です。最終的に水が弱点のジャミラは「ウルトラマン」の「ウルトラ水流」によって倒されてしまうのですが、怪獣が討伐されてもやはり空気は沈鬱(ちんうつ)そのものでした。
その後、ジャミラのために作られた慰霊碑には、「人類の夢と 科学の発展のために 死んだ戦士の魂 ここに眠る」という文章が刻字されます。ほかの隊員が立ち去るなか、イデ隊員だけは逆光のなか立ち尽くし、「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど」と呟いて、物語は終わりました。
特撮の幅を越え、同年代のドラマでも指折りの「余韻」を残す名ゼリフです。組織の都合で見捨てた個人を、さも尊い犠牲だったかのごとく美辞麗句でごまかす……現代社会の欺瞞を端的に喝破しています。イデ隊員の普段とは異なるシリアスな雰囲気も相まって、忘れがたいセリフとなりました。
ただ、このセリフの「犠牲者」の部分は、実際は「為政者」なのではないか? という指摘が昔からあります。なるほど、聞き返してみると(音がそっくりなので当然ですが)、そのように聞こえなくもありません。
また、仮に「為政者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど」だったとしても、このセリフの批判性はそこまで損なわれておりません。とはいえ、イデ隊員が「犠牲者(ジャミラ)」に寄り添ったのか、はたまた「為政者」への怒りを露わにしたのか、この違いは物語の余韻を大きく変えるものでもあります。実際は、どちらなのでしょうか。
長年、特撮ファンの間で交わされてきたこの論争ですが、現在は複数の資料によって「犠牲者」であることが結論づけられています。たとえば、23話の脚本を担当した佐々木守さんの2003年の著書「戦後ヒーローの肖像―『鐘の鳴る丘』から『ウルトラマン』へ―」(岩波書店)でも、同話の引用部分は「犠牲者」となっていました。またHDリマスター版での字幕でも、「犠牲者」であることが確認できます。
やはり、あのイデ隊員のセリフは「犠牲者」すなわちジャミラへの深い悲しみを込めたものであり、視聴者である子供らに「正義」の残酷さを問いかけたのでした。あの印象的な「逆光」は、その正義によって生じた影のようでもあります。
(片野)