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ブルース・リー作品がGWに一挙放送 いわくつき映画『死亡遊戯』も 世界に遺した「ドラゴンの伝説」

NBAのスーパースターとの異色対決

ブルース・リーの死後に制作、公開された『死亡遊戯』 (C) 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
ブルース・リーの死後に制作、公開された『死亡遊戯』 (C) 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 ブルース・リー最大のヒット作は、ハリウッド映画『燃えよドラゴン』です。鏡張りの部屋で、ラスボスと対決するシーンは特に有名です。ところが、日本で『燃えよドラゴン』が公開されたときには、すでにリーはこの世にはいませんでした。人気絶頂期の1973年7月20日に、32歳で急逝したのです。

 彼が残した撮影済みフィルムをもとに完成させたのが『死亡遊戯』です。体型が似ていたユン・ピョウらを代役に使い、過去のフィルムとつなぎ合わせた作品のため、『死亡遊戯』をブルース・リーの主演映画として認めるかどうかは意見が割れるところです。

 とはいえ、クライマックスでブルース・リー本人が登場すると雰囲気が一変します。もともとリーが考えていた設定は、五重塔の各階に世界各国の武闘家たちが待ち構え、ひとりずつ闘うというものでした。

 まず最初は、フィリピンで棒術をマスターしたダニー・イノサントとのヌンチャク対決。次の階は、韓国の武道「ハプキドー」の使い手。さらに上の階で待っているのは、米国の人気プロバスケットボール選手カリーム・アブドゥル・ジャバーとの超異色対決です。

 NBAで大活躍中だったジャバーは身長218センチあり、ブルース・リーとは50センチほどの身長差がありました。実はジャバーは、リーが創設した武道「ジークンドー」の門下生でした。ジャバーが香港を訪ねた際に急遽撮影したのが、『死亡遊戯』のクライマックスシーンだったのです。

 黄色いトラックスーツを着たブルース・リーが、アシナガグモのようなジャバーと闘うシーンは異次元的な面白さがあります。そして、これがリーの闘う最後の勇姿となったのです。

息子のブランドン・リーを襲った悲劇

 世界的なスターが急死し、映画界は新しいドラゴン探しにやっきとなりました。生前のブルース・リーにヌンチャクをプレゼントするなど親交があった倉田保昭さんは、香港映画『帰って来たドラゴン』(1973年)でブルース・リャンと共演。開脚した脚で壁をのぼりながらの格闘シーンが話題となりました。日本に戻った倉田さんは、『Gメン’75』(日本テレビ系)や『闘え!ドラゴン』(テレビ東京系)でも「和製ドラゴン」として活躍します。

 この頃、高倉健さんはワーナー映画『ザ・ヤクザ』(1974年)でロバート・ミッチャムと共演しています。『燃えよドラゴン』が大ヒットしたことから、ワーナーは日本で大人気の高倉健さんをポスト「ブルース・リー」に、と狙ったのです。残念ながら興行は失敗に終わっています。

 ドラゴンの正当な後継者として、実の息子ブランドン・リーを忘れることはできません。将来が期待されていたブランドンですが、主演映画『クロウ/飛翔伝説』(1994年)の撮影中に事故で亡くなっています。撮影用の拳銃に、誤って実弾が入っていたのです。ブランドンは28歳という若さでした。

 親子二代にわたる悲報は、世界を震撼させました。しかも、『死亡遊戯』でもブルース・リーが空砲のはずの銃で亡くなるという設定が描かれていたのです。

「水になれ、友よ」など、ブルース・リーは多くの名言を残しています。肉体は消えても、作品のなかに彼のスピリッツは今も生き続けているのではないでしょうか。

 ドラゴンブームに触れた世代も、未体験世代も、ブルース・リーの伝説をこのGWに体感してみてください。

(長野辰次)

【画像】「えっそうだったのか」これがブルース・リーの後継者(?)になるはずだった「日本人俳優」です(6枚)

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長野辰次

フリーライター。映画、アニメ、小説、マンガなどのレビューや作家インタビューを中心に、「キネマ旬報」「映画秘宝」などに執筆。現在公開中の『八犬伝』(キノフィルムズ配給)の劇場パンフレットなどにもレビューを寄稿している。

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