「私、アニメオタクです!」にモヤモヤ… 趣味を隠さず言える現代で始まった“オタクの線引き”という新たな問題
「オタク」といえば、かつては世間から白い目で見られるレッテルでした。しかし昨今では、アニメやマンガを楽しむ人が大きく増え、そうした趣味を公言することへの抵抗感も薄れています。その一方で、かつて世間から区別されていたオタク側が、今度は「どこからがオタクなのか」を線引きしようとする逆転現象も起きているようです。
嫌煙される存在から一転、「オタクでありたい人」続出か?

かつて「オタク」といえば、アニメやゲームに極端なまでに没頭する一部のマニア層を指す言葉でした。しかし現在では、深夜アニメやゲーム実況、推し活といった文化が広く浸透し、当時「オタク的」とされてきた趣味の多くが一般層にも受け入れられています。そうした時代の変化のなかで、「どこからオタクなのか」という議論が改めて注目されているようです。
そもそも「オタク」であることは、ひと昔前まで決して胸を張って公言できるものではありませんでした。アニメや美少女キャラが好きだと知られるだけで距離を置かれたり、周囲から冷たい目を向けられたりすることも珍しくなく、多くの人が趣味を隠しながら過ごしていたのです。
2005年放送のドラマ『電車男』は、そうした空気感を象徴する作品のひとつでもありました。伊藤淳史さんが演じた主人公は、チェック柄のシャツをズボンに入れ、背中にはリュック、両手に大量のアニメグッズを抱えた「見るからにオタク」な青年として描かれています。作中では、オタク趣味を理由に妹から毛嫌いされ、親切で落とし物を拾っても感謝されるどころか怪訝な目を向けられてしまう場面もあり、当時の世間に根強かった偏見を印象づけるものでした。
それがいまではオタク趣味を隠さない時代となり、かつてのような偏見もすっかり薄れました。ネット上でも「オタクが生きやすい時代になった」「好きなものを共有し合えるいい時代」と歓迎する声は多いものの、一方でオタク側が「オタクかどうか」を線引きしようとする風潮があります。
例えばよく「あるある」として語られるのが、「『私オタクで暇さえあればアニメ見てます!』というから『今期は何見てるの?』と聞いたら話が伝わらなかった(笑)」といったエピソードです。「それはオタクじゃない。好きなアニメがあるだけの一般人」「こういうライト層でも『アニメ好き』を名乗れる時代になったのか」など、知識量や熱量を基準に「本物のオタク」かどうかを判断しようとする声も見られます。
さらに近年は「ライトオタク」という言葉も広く使われており、オタクを自認していても、マイナーな作品を知らなかったり、推し活にそこまでお金をかけていなかったりすると、「ライト層」と線引きされることも少なくありません。場合によっては「にわか」扱いされるケースもあり、かつて世間から区別されていたオタクたちが、今度は内部で序列を作り始めているような印象を受けます。
この感覚は、長年応援してきたインディーズバンドがブレイクした瞬間、「自分たちだけのものではなくなった」と感じてしまう心理に近いのかもしれません。愛してきた文化が広く浸透した喜びと、自分たちの「聖域」に一般層が入り込んできたような複雑さ……。その相反する感情が、いまのオタク論争の根底にはありそうです。
かつてはマイノリティーだったオタクが、「どこからが本物か」という基準で世間を線引きしている現代。しかしこうした構造の変化は、それだけサブカルチャーが社会に深く根を張った証拠でもあります。「オタク」という言葉がどう変わろうとも、好きなものを好きと言える人が増えていく流れ自体は、悪いことではないのかもしれません。
(ハララ書房)