1982年に起こった「月曜19時アニメ」の攻防 子供たちは「裏番組」の存在に困惑!
1980年代、夜ご飯のお供はTVアニメでした。今とは違い7時から始まるアニメがたくさんあって、どれを見るのか家族とチャンネル争いをした方も大勢いるのではないでしょうか。しかし、そんな懐かしくのどかな思い出とは裏腹に、アニメ放送の現場では視聴率をめぐって過酷な競争が繰り広げられていたのです。その一例を紹介します。
かつて夕方から夜は「アニメの時間」だった

1980年代半ばまで、アニメは視聴率のドル箱でした。今となっては考えられませんが、19時以降放送のアニメなら、20%超えは当たり前。20%を切ったらアニメじゃない。そのように言われていた時代もあったのです。
なぜ当時はアニメが高い視聴率を誇ったのか。大きな理由としては、日本の人口ボリュームで多数を占める団塊ジュニア世代が子供の時期だったため、視聴者として大きな存在感を示していたことが挙げられます。家庭用のビデオデッキもまだ普及しておらず、アニメはTVで直接見るのが当たり前だった点も大きいでしょう。
また、子供たちの塾通いや習い事も今ほど盛んではなく、夕方は家にいることが多い時代でした。子供たちが食卓につきながら、アニメを見る環境が完ぺきに整っていたのです。
自然と、TV局もアニメに力を入れることになります。どの曜日でもチャンネルを回せば何かしらアニメを放送しており、子供たちは夢中になって見ていたものです。今から思えば、子育てをしていたお母さんからすれば、とてもありがたい存在だったのではないでしょうか。
しかし、のどかな光景の裏側で、業界ではし烈な競争が繰り広げられていたのもまた事実だったのです。
例を挙げると、関東圏の1981年10月の金曜18時は日本テレビで『六神合体ゴッドマーズ』が、テレビ東京では『太陽の牙ダグラム』がスタートし、当時の少年たちを困らせていました。1983年10月には当時子供たちの間で爆発的な人気を誇っていた『ドラえもん』と同じ時間に『銀河漂流バイファム』が放送されるなど、複数のアニメ放送がぶつかり合うことなど日常茶飯事だったのです。
このような「裏番組」競争は、他にも数知れず存在していましたが、その中でも特にすさまじい競争が繰り広げられたのが、1982年春の月曜夜7時の枠です。
しかもこの時の争いは、ただアニメ同士が視聴率を競い合っただけでなく、アニメの歴史に残る事件まで巻き起こっていました。いったいこの時なにがあったのか、紹介していきましょう。