『シン・ウルトラマン』庵野秀明が追求した、概念としての「トクサツ」空間の魅力
1作ごとに大きな議論を巻き起こす庵野秀明監督が総監修と脚本を務めた『シン・ウルトラマン』。本作では、庵野監督が愛とリスペクトを注ぐ「特撮」を、技術への偏愛ではなく新たな概念としての「トクサツ」空間を創出する試みがなされています。
「特撮」ではなく「トクサツ」を目指した
庵野秀明氏が総監修と脚本を務める映画『シン・ウルトラマン』が公開されました。庵野氏といえば、『ウルトラマン』からの多大な影響を公言しており、自主製作で『帰ってきたウルトラマン』を製作したこともあるほどのウルトラマン好き。そんな庵野氏が現代に向けて新たな『ウルトラマン』を作るとあって、特撮ファンからもアニメファンからも大きな注目を集めていました。
今回、庵野氏は「総監修」という立場で現場の陣頭指揮をとってはいないようですが、彼の狙いや感性はそれなりに色濃く反映されている作品だったと思います。
本作は、庵野氏が愛を注ぐ「特撮」の魅力を今の技術で発揮することを目指したものと言えるでしょう。それは、庵野氏が長年追求してきたことであり、技術への偏愛ではなく、新たな概念としての「トクサツ」空間を創出する試みでもあります。
100%本物ではない、しかし100%虚構でもない、トクサツ独自の奇妙で魅力的な空間を今回はどのように作ろうとしたのかを振り返ってみましょう。
庵野秀明氏にとっての「特撮」とはどういうものなのでしょうか。過去の発言から紐解いてみましょう。庵野氏は、特撮を一般的な実写ともアニメとも異なる感覚のものだと捉えているようです。
「特撮は、現実感の中にアニメと同じ発想の「現実にはないイメージ」を紛れ込ませることができるんですね。現実を切り取った空間の中に、現実ではない空想を融合させられるんです。その異種感覚というのはすごくいいなと」(『巨神兵東京に現る』2012年7月5日刊行、日本テレビ放送網株式会社、『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』別冊、P10)
アニメは絵なので全て作られたものですが、特撮は現実の風景と人物をカメラで切り取ったなかに、虚構の空想を紛れ込ませることができるというわけです。
『エヴァンゲリオン』シリーズなどが顕著ですが、庵野氏の作品は「虚構と現実」がテーマとなることが多いです。それは、アニメ作品であっても実写作品であっても同様で、彼にとって最も重要なテーマと言っていいでしょう。特撮という手法は、物語ではなく形式としてそのテーマに一番馴染むものであり、『シン・ゴジラ』の時はそのことにかなり自覚的に挑んでいます。
「特撮だけが描けるんですよ、現実と虚構が融合した世界観を。だから本作も最大の主題として、そこを描こうとしています」(『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』、株式会社カラー刊行、P500、庵野秀明)
庵野氏は、そうした特撮の感覚をいかに今の技術で再現するかを追求してきました。それは実写だけでなくアニメ作品でも同様です。例えば、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』ではCGによって特撮のような空間を作り上げることに挑んでいます。CGI監督の鬼塚大輔氏はこう証言しています。
「鬼塚:僕たちとしては「これはCG的にどうかな?」って思うカットでも、「特撮的にOK!」となるようなことはいっぱいありましたね。車が倒れたり落ちたりするカットで、たとえ挙動が軽く見えてしまっても、「ミニチュアっぽさが出てて、グー!」とか。
<中略>
通常、CGに求められるものとは、「どうやって現実らしく見せるか」という方向のリアリティなんです。そうではなく「特撮の世界をどうやってCGで再現するか」みたいな方向性なんですね」(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 全記録全集』、株式会社カラー発行、2008年7月刊行、P386)
3DCGは基本的に空間の遠近感や造形物も正確な物理演算で現実を再現しようとする技術で、どれだけ現実に迫れるかという方向に発展してきたものです。そういう技術を使って、空想の産物である「特撮」らしさを作ろうとしているわけです。
ここが庵野氏の考え方の面白い部分で、これは言い換えれば「本物のミニチュアらしさ」をCGで追求したということでしょうが、ミニチュアはそもそも本物じゃなく「本物に似せた何か」ですから、本物そのものではないものをCGで追求させているのです。
この姿勢は『:序』から『シン・エヴァンゲリオン劇場版』にいたるまで一貫した姿勢で、『シン・ゴジラ』のゴジラも同様の考えに基づいて作られています。