【ファミコン40周年】開発時、任天堂とタッグを組んだ意外な国産メーカーとは?
1983年7月15日に発売された「ファミリーコンピュータ」は、今年2023年で40周年を迎えます。ゲーム界の金字塔とも言える名ゲーム機の誕生の裏には、意外な国産メーカーの存在があったことをご存知でしょうか。
もともとは「シャープ」と共同開発を考えていた

1983年7月15日に発売されたファミリーコンピュータ(任天堂)は、発売から40周年を迎えました。日本だけでなく、世界のゲーム界に大きな影響を及ぼしたモンスターマシンが誕生した裏側には、さまざまな開発秘話が存在します。
例えば、ファミコンの頭脳にあたるCPUの開発には、ある意外な国産メーカーが関わっていることをご存知でしょうか。
ファミコンに搭載されたCPUの名称は「Ricoh 2A03」で、その名前からもわかる通り、コピー機などで知られる国産メーカー「リコー」が開発したものです。このCPUのベースになったのは、アメリカの半導体メーカー・モステクノロジーの「6502」で、当時の8ビットCPUの定番だった「Z80」は採用されませんでした。
なぜ任天堂は、ゲーム業界とはあまり縁のないリコーとタッグを組み、マイナーなCPUをベースにファミコンを開発したのか……。その理由は、任天堂の公式サイトで元社長である岩田聡氏と、直接開発に携わった上村雅之氏らが行った過去の対談のなかで語られていました。
●シャープを選べなかった理由
ファミコンの開発者である上村氏は、もともとシャープ出身の技術者で、新ゲーム機の開発を命じられた当初は、当然シャープとの共同開発を考えていたそうです。しかし、当時1981年の末頃は、任天堂とシャープがタッグを組んでリリースした「ゲーム&ウオッチ」が大ヒットの真っ最中で、シャープの手を止めるわけにはいきませんでした。
そこで上村氏は主要電子メーカーに協力を打診しますが、テレビゲームという未知の商品だけに良い返事がもらえません。そんなとき、たまたま電話がかかってきたのが「リコー」でした。
当時のリコーは、最新の半導体工場を持っていましたが、稼働率が上がらずに困っていました。そこで上村氏が工場を訪問したところ、たまたま過去に任天堂と関わりのあったゲーム好きの技術者と出会い、ファミコンの開発が進められていきます。
そしてリコーから提案されたのが、「6502」というマイナーなCPUをベースに開発することでした。当時、一般的にはあまり使われていないCPUで、理解している技術者も少なかったため、任天堂内でも反対の声があったそうです。しかし最終的に「解析がされにくい」とのことで採用が決定します。
また、このマイナーCPUの採用は、意外なところに影響を及ぼします。天才プログラマーとしても知られる岩田聡氏が趣味で「6502」CPUを搭載したパソコンを愛用しており、当初から「6502」のエキスパートともいえる存在だったのです。
こうして、リコーが「6502」をベースに開発したCPU「Ricoh 2A03」が搭載されたファミコンは完成の時を迎えます。そして「6502」を愛する岩田聡氏がファミコンに送り込んだ『ゴルフ』や『バルーンファイト』を始めとする人気タイトルが、ファミコンの大ヒットを牽引していきました。
多くのゲームファンを熱狂させたファミコンは、発売から40年の月日が経過しました。このゲーム機に深く携わった上村雅之氏や岩田聡氏をはじめ、多くの偉大なクリエイターたちがこの世を去りましたが、彼らの生み出した作品は、これからも愛され続けていくことでしょう。
(大那イブキ)




