『進撃の巨人』ととのえば悪しき業は断ち切れる? 作者がサウナを推す理由について深読みしてみた
「サマタ瞑想」と「ヴィッパサナー瞑想」
瞑想にはさまざまなノウハウがあり、特に有名なのがサマタ瞑想とヴィッパサナー瞑想です。サマタ(samatha)とはパーリ語で、漢語に翻訳されて日本に入ってきた仏教用語では「止(し)」と呼ばれています。サマタ瞑想は自分の呼吸やシンボルなど特定の対象に集中して心を落ち着けます。呼吸を数える数息観(すそくかん)は多くの仏教宗派に取り入れられている瞑想法です。
ヴィッパサナー(vipassanā)もまたパーリ語で、漢訳された仏教用語では「観(かん)」と呼ばれます。ヴィッパサナー瞑想では集中の対象を持たずに流れる思考をただ観察するにとどめます。思考は勝手に生まれては流れていくので、それにいちいち執着しない姿勢が重要です。誰でも黙って座って目を閉じるだけで、脳内のおしゃべりがとめどなく続いていく不思議を実感できるでしょう。
思考を観察していると、不意にやり残した仕事を思い出したり、いいアイデアを思いついたりしますが、覚えておこうなどと考えてしまうとヴィッパサナー瞑想は失敗となります。
サウナのととのいの強烈な体感は、急激な温度変化による血流の変化と、ヴィッパサナー瞑想のコラボレーションによる産物かもしれません。温度変化とリラックスのどちらが欠けてもととのいが得られないからです。全裸で寝転がったり、椅子に体を預けたりして外気浴しているサウナーですが、実は脱力して思考を観察する瞑想をしているといっても良いのではないでしょうか。
●瞬間を感じる「ととのい」は業(カルマ)の連続性を断ち切る?
ととのいを得るためにその瞬間だけを享受しようとすると、一時的に過去や未来から思考が切り離されます。もしかしたらこのような「瞬間」を感じる体験こそ、悪しき業(カルマ)に捕らわれた「人類」にとって救いになると諌山先生は考えたのかもしれません。
最後に『進撃の巨人』33巻の『進撃のスクールカースト』から引用します。下記は唯一神ユミルを信奉するカルト教団に拉致されたエレンが、ユミルの教えを伝えろと迫るジーク達教団員にサウナの入り方を伝えたシーンです。
『進撃のスクールカースト』のユミルは巨人の体を作る砂を運ぶ桶ではなく、アウフグース(サウナ室のヒーターに水をかけて蒸気を発生させること)用の桶と柄杓を持っている点も注目ポイントです。
「みなさんおわかりいただけましたか?
これが唯一神ユミルが我々に伝えたかったことです
この教えを世界に広め 世の人々を苦しみから開放し 極楽浄土を世界各地に築いてまいりましょう」
まさに物語が血塗られたクライマックスに向かっていく最中に、巻末おまけマンガでこのような展開をする諫山先生は、本当にサウナによる世界平和を願っているのかもしれません。
(レトロ@長谷部 耕平)


