ファミコンの切ない体験談4つ 「ソフトだけ持ってる子」に涙…
小学生最大のプレイスポットから「出禁」を宣告される!?
●駄菓子屋のおばあちゃんに暴言を吐き出禁
筆者が小学低学年の頃。近所の駄菓子屋さんに30分50円でファミコンが遊べるスペースがありました。このプレイ料50円は、店主に手渡しで支払うもので、それゆえ30分というのが店主の目視確認で行われ、往々にして時短されるあいまいな制限時間でした。この駄菓子屋さんはソフトもいくつか備えていて、そこには筆者を含む友人グループが誰も持っていない『ロックマン』がありました。このゲーム、子供には難易度が高く、50円がほいほい吸い込まれていった記憶があります。
そんな駄菓子屋さんを舞台に事件が起きたのです。
あるとき友人と3人で夢中になって『ロックマン』をプレイ。何回もやり直し、30分を過ぎるたび50円の支払いをしながら順調に進め、初めてドクターワイリーのステージに突入しました。我々3人は初めて見るステージにわくわくしながら、「今日こそ全面クリアできるかも……」と唾を飲み込んだ瞬間、店主のおばあちゃんが「そろそろ30分だよ」と残酷な通達。僕らのポケットには残された50円はなく、延長できずに無慈悲な強制リセットがされてしまいます。愕然とする3人……。すると最後にプレイしていたB君が声を張り上げ「今まで時間短くしてきた分の金、返せババア!」となじったのです。その後も興奮しながらB君が口汚くののしっているとおばあちゃんは「もうあんたは来なくていいよ! もう来るな!」と出禁宣言。悔しさもありましたが、B君のあおりをくい全員、人生初の出禁を受けざるを得ませんでした。
●母がファミコンを引退する日
小学低学年の頃、我が家にファミコンがやってきました。ソフトは『ピンボール』と『ドンキーコングJR.』で、テレビの画面でゲームができるという斬新さに子供心は踊りっぱなしでした。毎日遊んでいましたが、ひとり遊びが寂しくなり、そんなときは母を誘い2人でプレイすることも多くありました。母はよく付き合ってくれましたが、コントローラーを持ちながら体が右に揺れたり、左に揺れたり。時には腕を振り上げるなど、その不器用な挙動が面白くていじって笑っていました。
あるとき、学校から帰ってくると、珍しく母がピンボールに興じており、黙って見ているとやっぱり体を揺らし面白い動きをするので笑っていると、母は不意に電源を切り止めてしまいました。以後、母をファミコンに誘っても「お母さん、上手にできないから……」と寂しそうにこぼし遊んでくれなくなりました。
あの日、母がひとりでファミコンをしていたのは、きっと笑われないようにこっそり練習していたのだと思います。寂しそうに「上手にできない」と語ったあの表情……いまだに脳裏に刻まれています。
(南城与右衛門)
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