『千と千尋』の陰で… 庵野秀明監督と細田守監督の「ジブリ作品」が幻となったワケ
困難が続いた、細田守監督による『ハウルの動く城』

もうひとつの幻の作品となったのが、細田守監督による『ハウルの動く城』です。『ハウルの動く城』は、2004年に宮崎駿監督作品として公開されますが、当初は若手演出家起用のために考えられた企画でした。
『千と千尋の神隠し』制作中の1999年、スタジオジブリは新作企画立案のため部署を新設しました。そこで宮崎駿監督がダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの児童文学『魔法使いハウルと火の悪魔』を取り上げたのです。
宮崎駿監督自身は『千と千尋』を制作中ということもあり、監督は当時劇場版『デジモンアドベンチャー』で注目されていた細田守監督に依頼したところ、東映アニメーションからの出向という形で参加が実現したのです。
同時期に企画が進んでいた長編作品に前述の『猫の恩返し』があります。『猫の恩返し』は愛・地球博のイベント映像として企画され、宮崎駿監督と『耳をすませば』の原作者・柊あおいさんが構想したものでしたが、諸般の事情によりイベント映像からOVAに、そして劇場作品へと企画が変更していました。
そこで宮崎駿監督は、映画『ホーホケキョ となりの山田くん』や、美術館の短編『コロの大さんぽ』に原画として参加していた森田宏幸監督を抜擢したのです。
当初の予定では、2002年に森田宏幸監督の『猫の恩返し』と併映の百瀬義行監督の『ギブリーズ episode2』が、2003年に細田版『ハウル』が公開するはずでした。
『猫の恩返し』も『ハウル』も、企画こそ宮崎駿監督発ですが、その他の役職には参加しない形で、『海がきこえる』に続く「非・宮崎&高畑」のスタジオジブリ作品です。『猫の恩返し』はスタジオジブリ作品経験者である森田宏幸監督の初監督作品であり、『ハウル』は外部から呼び寄せてスタジオジブリ初参加となる細田守監督に託すという、それまで内製の色が強かったスタジオジブリとしては異例の体制で制作に臨んでいます。
この時期のスタジオジブリが、いかにどん欲に若手アニメーターを育成し、若手演出家を発掘しようとしていたか、「スタジオジブリ=宮崎アニメ」のイメージから離れようとしていたかがうかがえます。
プロデューサーには、『ハウル』は鈴木敏夫プロデューサーが、『猫の恩返し』は高橋望プロデューサーが、それぞれ担当していました。
しかし2000年には細田版『ハウル』の制作に陰りが見え始めます。その理由について鈴木敏夫プロデューサーは、著書『天才の思考』のなかで、細田守監督が宮崎駿監督の助言を真面目に聞きすぎたことを挙げています。
実はかつて細田守監督は、研修生採用試験を受けるほどスタジオジブリと宮崎駿監督のファンでした。
「宮さんは、企画を立てたら、あとは黙って見守るというタイプじゃありません(中略)しかも、言うことが毎日変わる(中略)それが一週間、一カ月と続くうち、彼はすっかり参ってしまった」
ちなみに『猫の恩返し』の森田宏幸監督は、こうした宮崎駿監督の干渉を積極的に楽しみ、逆に質問攻めにして、最後は宮崎駿監督が逃げ回るようになったそうです。
窮地に陥った現場の状況を打開するため鈴木敏夫プロデューサーは、『猫の恩返し』の高橋望プロデューサーに担当作の交換を申し出ます。すでに『猫の恩返し』はシナリオも完成し、メインプロダクションに入ろうとしている段階でしたが、細田守監督から直接の依頼もあり、高橋望プロデューサーは承諾しました。




