『ウルトラマンレオ』ロープで吊られクルマで追われ…なぜスポ根ドラマになったのか?
『ウルトラマンレオ』という作品を振り返ると、その序盤はいわゆる「スポ根モノ」でした。「ウルトラ」シリーズとしては異例の内容となった背景には、どのような理由があったのでしょうか。
シゴキもMAC全滅も、すべてオイルショックのせいだ!?

1974年にTV放送された『ウルトラマンレオ』で語りぐさとなるのが、宇宙パトロール隊のMACが全滅する第40話とともに、序盤の過酷すぎる特訓シーンでしょう。大先輩の「ウルトラセブン」こと「モロボシ・ダン」が隊長として、未熟な「レオ」こと「おゝとり(おおとり)ゲン」を指導し、凶悪な宇宙人や怪獣と戦えるよう鍛え抜くというものです。
これらの特訓は、たとえばゲンをロープで宙づりにして回転させたり、真冬の滝壺に入れて「滝を斬れ!」と命じたり、クルマで追い回して「逃げずに立ち向かってこい!」とムチャ振りするなど、常軌を逸したものでした。ゲンは目を血走らせて「隊長、やめて下さい!」と叫んでいますが、演じた真夏竜氏は本当に怒っていたと振り返っています。
このような過酷な展開となった背景には、前作『ウルトラマンタロウ』との差別化があります。『タロウ』は小学校低学年を視聴対象としていたため、年長の視聴者が離れてしまったのです。そこで、『レオ』では対象年齢を上げ、ハードなドラマを目指しました。初期の企画書では、「現代っ子の甘えグセ」から脱却し「自分の道を自分で切りひらく」と言い切っています。
そこで選ばれたのは「スポ根」路線で、スポーツに打ち込む主人公が努力と根性で困難を乗り越え、過酷な訓練を耐え抜いて成長する、といった流れの物語です。ゲンを鍛える隊長役に森次晃嗣氏が起用されたのも、ボウリングのスポ根ドラマ『美しきチャレンジャー』(1971年、TBS)で鬼コーチ役を演じたことが関係しています。
しかし1974年当時、スポ根の人気はピークを過ぎていました。『巨人の星』を先駆けに、1968年には『アタックNo.1』や『サインはV』が少女マンガ雑誌に連載開始される過熱ぶりでしたが、1973年のオイルショックにより高度経済成長期が終わり、「努力は必ず報われる」という熱気も冷めていったのです。
それでもスポ根要素を取り入れた理由として、関係者は「ちょうど根性ものが(テレビ番組として)切れていたから」と証言しています。また、予算の制約も厳しくなり、特撮や都市のミニチュアを使用せず、生身の格闘が多い話にせざるを得なかったとか。つまり、オイルショックが『レオ』をスポ根路線に向かわせたのです。
さらに、ゲンに「空手の使い手」という設定が加わったのは、ブルース・リー主演のアクション映画『燃えよドラゴン』の影響です。真夏竜氏もオーディション時に「君、アクションできる?」とばかり聞かれ、芝居に関する質問は全くなかったと語っています。
しかし、スポ根路線は視聴率的に報われませんでした。第1話は17.9%で『タロウ』最終回とほぼ同水準でしたが、第2話で16.5%、やがて12%から13%台で推移し、第15話には10.7%と大幅に下落しました。第10話のころにはダンのゲンに対する特訓シーンもなくなりましたが、視聴率の低下は止まりませんでした。
制作陣はテコ入れのため「強化案メモ」を作成、そこには「ダンがゲンを特訓する所が見ていて、すごくいやです!」「ダンがゲンを杖でなぐるところは、子供が怖がって見ません」といった子供や母親の声を紹介しています。これではスポ根路線を続けることは難しいでしょう。
その後、従来シリーズで人気の高かった「怪奇もの」や「民話風」のエピソードが投入され、路線変更が図られました。しかし、一度離れた視聴者層が戻ることはなく、終盤の「恐怖の円盤生物シリーズ」も7%から11%台を行き来していました。
それでも、『レオ』がほぼ1年の放送を全うできたのは、子供向けの人気番組が特撮から『マジンガーZ』などロボットアニメに移ろっていたなかでは驚くべきことでしょう。現在ではコンプライアンス的に許されそうにない危険なアクションや、生きる厳しさを教えるドラマは、ウルトラシリーズのなかでも唯一無二の存在感を放っているのです。
(多根清史)