【シャーマンキング30周年への情熱(42)】ペヨーテ対チョコラブの戦いに込められた作劇的な意味とは
チョコラブがペヨーテに勝利した物語構造的な意味

さて、20話の中心は、殺人すら何とも思わないギャング「シャフト」時代のチョコラブが、南米先住民のシャーマンにして旅のお笑い芸人という老人・オロナと出会い、シャーマン能力に目覚めるまでの過去話です。オロナのくだらないギャグの連続にすっかり毒気を抜かれたチョコラブは、ジャガーのミックが見えるシャーマン能力の持ち主でもあり、奇妙な縁でオロナとともに暮らし始めます。
しかしこういう世界は簡単に足抜けすることができず、かつての仲間に見つかったチョコラブは、シャフトに戻るよう強要されます。その際オロナは人質にされるのですが、彼は自分の命を賭けて「怒りでは何も救えない。魂に満ちた怒りを笑いの風で吹き飛ばし、笑いの風で世界を救え」とチョコラブを諭すのです。
それ以来どんな相手も殺すのではなく、笑いで救おうとするチョコラブと、ペヨーテの戦い。この対比構造がおわかりになるでしょうか? 前項で述べたこの祭りの特徴を思い出してください。
ふたりに共通しているのは「死を悲しいものととらえない」という教えです。そしてチョコラブのギャグはカラベラ人形を笑わせました。これが意味するのは、チョコラブの想いの方が勝っていたということです。
シャーマンの能力は想いひとつ。チョコラブは死だけに限らず、悪者も何もかも笑いで救おうと考えていたのに対し、ペヨーテにはそこまでのものがなかった……それが明暗を分けたと思えます。
皆さん、物語を創作する際、作者は誰と誰を戦わせようとか、その理由は何なのかということを考えて作品に込めます。そして私たちの楽しみのひとつは作品からそれを探すことです。筆者は武井宏之先生がふたりの戦いにこうした意味を込めたのではないかと考えているのですが、どうでしょうか?
最後に……このことは冒頭に書いた「チョコラブの過去話は葉たちにとっても大きな意味を持っている」ということとは別です。これから先、物語はいろいろな要素がからみ合って皆さんを驚かせてくれるはずなので、どうかこれからも各話を大事にご覧いただき、忘れないようにしていてくださいね!
それでは今回はこの辺で。また次回よろしくお願いします!
(タシロハヤト)