多彩なファミコンカセットのデザイン 実は「自由じゃない」?ブームの裏で大人の事情も
カセットの独自デザインは最後まで残ったが…

さて、自社生産によって独自デザインのカセットが認められていた状態も、時代が進むと雲行きが怪しくなります。「日本デジタルゲーム産業史」によると、ファミコンの中期以降、任天堂はメーカーが新たに自社生産することを認めないだけでなく、既存のメーカーにも「ファミコンのゲームを販売できる」というライセンス契約を更新する際に、委託生産に切り替えるよう求めたとされています。
これをこのまま解釈すると、ファミコン後期のカセットは、全て同じ形になっていたということになります。しかし実際のところ、前述のメーカーのカセットはファミコン時代の最後まで、一部を除き独自デザインでした。いったいどういうことでしょうか?
これは筆者の想像ですが、任天堂はすでに独自デザインで知名度を得ているメーカーに、それをやめるか、特別な手数料を支払って続けるかの選択を求めたのではないでしょうか? ただ任天堂の最終目的は、委託生産させること……いわゆる「任天堂商法」の完成ですから、自社生産まで認めたかどうかはわかりません。もしかしたら、「特別にそのデザインで製造してあげるから、任天堂に生産を委託してくれ」と言ったかもしれません。残念ながらこのあたりの真相が明らかになることは、まだ当面ないでしょう……。
いずれにしろこうした体制の確立によって、新しいデザインのカセットは他のメーカーから生まれなくなります。なお、一部のゲームはカセットの大きさ自体が違いますよね? 実はあれも任天堂の規格のひとつで、通常サイズと大きいサイズの2種類が存在していたようです。
こうして見ると、カセットのデザインは多彩なバリエーションがあったように感じられても、実はそれほど多くなかったことがわかります。恐らくデザインは同じでもカセットの色が多数あったことから、「たくさんのデザインがあった」という印象があるのではないでしょうか。
最後に、これは後日談的な話になりますが、この任天堂の体制が確立したことを、私たちが明確に感じられる日が来ます。それがスーパーファミコンの発売です。スーパーファミコンでは、ファミコン時代の特権は全てゼロになり仕切り直されました。そのため全てのゲームカセットが、色も形も統一されたデザインになったとされています。
※記事の一部を修正しました。(2023年3月16日 19:27)
(タシロハヤト)




