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マンガ原作者・梶原一騎氏の生涯 貧困、暴力…濃厚な「昭和」を描く

マンガ原作の第一人者として知られる梶原一騎氏は、『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』など数々の名作マンガを生み出し、高度経済成長時代の日本に「スポ根」ブームを巻き起こしました。しかし、スキャンダルをきっかけに、その名声は瞬く間に失われてしまいます。伝説となっている梶原氏の濃厚な生涯を検証します。

『巨人の星』『あしたのジョー』の生みの親

梶原一騎氏が「高森朝雄」名義で原作を手掛けた、代表作となる『あしたのジョー』第1巻(作画:ちばてつや/講談社)
梶原一騎氏が「高森朝雄」名義で原作を手掛けた、代表作となる『あしたのジョー』第1巻(作画:ちばてつや/講談社)

『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『空手バカ一代』など、数多くの人気マンガを生み出したことで知られているのが、マンガ原作者の梶原一騎(かじわら いっき)氏です。日本のマンガ史を語る上で、外せない人物だといえるでしょう。

 野球マンガ『巨人の星』の主人公である星飛雄馬は、球質が軽いという弱点を克服するために次々と魔球を編み出し、読売ジャイアンツを優勝へと導きます。ボクシングの世界を描いた『あしたのジョー』の矢吹丈は、少年院で力石徹というライバルに出会い、持てる情熱のすべてをボクシングに注ぐようになります。飛雄馬や丈のような熱い生き方は、高度経済成長期の日本社会に見事なほどにシンクロしていました。

 梶原作品はアニメ化や実写映画化されることも多く、幅広い人たちに今なお愛され続けています。しかし、その一方では強面(こわもて)のイメージが、梶原氏には強く付きまとっています。日本マンガ史のレジェンドともいえる、梶原氏の生涯を振り返ります。

映画界や格闘技界に関わり、派手になった生活

 1936年生まれの梶原氏の本名は、高森朝樹(たかもり あさき)です。都立芝商業高校を中退した梶原氏の作家デビューは17歳と早く、スポーツ新聞で実話小説『力道山物語』を連載したことから、人気プロレスラーの力道山と知り合い、このことがきっかけで『チャンピオン太』などのスポーツマンガの原作を手掛けるようになります。

 とりわけ1966年に連載が始まった『巨人の星』は作画担当の川崎のぼる氏、1968年から始まった『あしたのジョー』はちばてつや氏との間に化学反応が起き、大人気作となりました。『巨人の星』と『あしたのジョー』を同時連載していた「週刊少年マガジン」(講談社)は、黄金時代を迎えます。

 1971年には『空手バカ一代』の連載が始まり、「極真会館」の創設者である大山倍達氏と「義兄弟」の契りを交わす仲になります。「スポ根」ブームを巻き起こす一方、同じく「週刊少年マガジン」で連載された『愛と誠』は西城秀樹さん主演作として1974年に実写映画化され、梶原氏は映画界とも深く関わっていきます。

 夜の銀座を飲み歩くことで有名だった梶原氏は、1975年に「三協映画」を設立し、お金の使い方がますます激しくなっていきました。『格闘技世界一 四角いジャングル』(1978年)などのドキュメンタリー映画は興行的な成功を収め、梶原氏の周囲を次第に屈強な男たちが取り巻くようになっていきます。

 そんな折、梶原氏が警察に逮捕されるというショッキングな事件が起きたのです。

【画像】え、令和時代ではありえない! これが梶原一騎氏が原作の人気マンガです(4枚)

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