開館が待ち遠しい! 復元「トキワ荘」 マンガの聖地には青春の「光と影」があった
マンガの聖地として語り継がれているアパート「トキワ荘」が、「トキワ荘マンガミュージアム」内の施設として再現されました。市川準監督作『トキワ荘の青春』(1996年)が2020年5月からリバイバル公開されるなど、「トキワ荘」伝説は今も多くの人に愛され続けています。マンガ産業が青春期だった時代を振り返ります。
同じアパートから有名漫画家が次々と輩出したワケ
お金はないけど、夢があった。そして、仲間たちがいた。藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら人気漫画家たちが新人時代を過ごした木造アパート「トキワ荘」は、漫画の聖地として知られています。東京都豊島区にあった「トキワ荘」は1981年に取り壊されていますが、2020年春に「トキワ荘マンガミュージアム」内の施設として復元されます。すでに外観は完成しており、豊島区が開館日を発表するのを待っている状態です。
多くの人が不思議に思うのは、なぜ同じアパートから次々と有名漫画家たちが輩出されたのかということではないでしょうか?
その謎を解くキーパーソンとなるのが、寺田ヒロオさんです。『背番号0』『スポーツマン金太郎』などのスポーツマンガで人気を得た寺田さんは、「トキワ荘」に集まった若手漫画家たちの「兄貴分」的存在でした。1953年、当時すでに売れっ子漫画家だった手塚治虫さんが入居していた「トキワ荘」に、寺田さんは引っ越します。ここから「トキワ荘」伝説が始まります。
寺田さんはマンガ少年たちの愛読誌「漫画少年」の読者投稿欄の撰者を務めていたことから、全国各地のアマチュア漫画家たちとのつながりがありました。寺田さんから才能を認められた若者が上京して、「トキワ荘」で暮らし始めることになります。富山からは藤子不二雄こと、藤本弘さんと安孫子素雄さん、宮城からは石ノ森章太郎さん、旧「満州」生まれで各地を転々としてきた赤塚不二夫さんらが集うことなりました。
短期間ですが少女漫画の水野英子さんも暮らし、つのだじろうさんは新宿の自宅からバイクで「トキワ荘」に通いました。
マンガの「成功者」輩出の一方で……
2020年5月29日(金)よりデジタルリマスター版が劇場公開される映画『トキワ荘の青春』(1996年)では、本木雅弘さん演じる寺田ヒロオの部屋に漫画家たちが集まり、焼酎をサイダーで割った「チューダー」で宴会を開く様子が楽しげに描かれています。若き才能が集まった、ブレインストーミングの場ともなったようです。
面倒見のよい寺田さんは、まだ作風が定まっていなかった赤塚さんを励ましたり、金欠状態だった石ノ森さんにお金を貸したりしています。人格者だった寺田さんがいなければ、途中で挫折して、“まんが道”から脱落したメンバーもいたかもしれません。
やがて1960年代になると漫画界は月刊誌から週刊誌が中心となり、読者アンケートが重視され、刺激的な内容の作品がもてはやされるようになります。寺田さんは結婚を機に「トキワ荘」を出ましたが、明るく健全な作風は漫画界の流れと合わなくなっていきます。
寺田さんは1980年代には新作漫画を描くことをやめてしまい、ひとり酒を飲むようになり、1992年に自宅で亡くなりました。享年61歳。寺田さんの死を、安孫子さんは「緩慢な自殺だった」と語っています。自分の理想とするマンガとは異なるものを、寺田さんは筆を曲げてまで描くことはできなかったのです。
「トキワ荘」には『オバケのQ太郎』の小池さんのモデルとなった鈴木伸一さんもいましたが、漫画には見切りをつけ、アニメーションの世界へと移ります。鈴木さんの部屋には、貸し本漫画で活躍した森安なおやさんも同居していましたが、家賃はほとんど払うことなく「トキワ荘」を出ていき、漫画界の第一線から離れることになります。
成功者がいれば、そうでない人たちもいました。青春の光と影が差す場所、それが「トキワ荘」だったのです。