未完の絶筆『男の星座』 希代の劇画原作者、梶原一騎が命を燃やし尽くした光を心に刻む
「私は“男の世界”を描ける作家になれた」

また、梶原氏は同じ文章のなかで「完全なる自伝」とも書いているのですが、そもそも主人公の本名が「高森朝樹」とはまったくの別の、梶原ファンタジーとなっています。やはりこれは『空手バカ一代』の冒頭で書かれたヘミングウェイの言葉のとおり「事実をありのまま伝えるという行為は いかなる面白い創作をするよりも困難な作業である」ということなのでしょう。余談かも知れませんが、このヘミングウェイの言葉も、梶原一騎氏の創作、とのことです。
つまりは、この『男の星座』に登場する人物や、さまざまに交錯するエピソードなどは、例のごとく本当かどうか分からないものが多いのですが、しかし、作品としてツマラナイのかと問われれば決してそうではありません。「梶一太」という名にはなっていますが、梶原一騎氏の半生が、じつにドラマチックに、なおかつロマンチックに劇中では生き生きと描かれています。
もちろん、『空手バカ一代』に登場した「有明省吾」のモデルとされた「春山章」ですら架空の人物だったと知った時、かなりショックを受けたのは正直なところですが、筆者自身の心に刻まれた「真っ白な灰になるまで燃え尽きる」や「どんな時も坂道を登っていく、男が死ぬときは、たとえそこがドブの中であろうとも前のめりに死んでいたい」という、『あしたのジョー』や『巨人の星』から授けられた言葉は誠実(まこと)のものです。「坂道」のくだりの坂本龍馬の言葉が、またしても梶原一騎氏の創作であろうとも、問題ではありません。
「さまざまな男たちの群像、すなわち“男の星座”を遊泳し、交錯し、その光りを浴び、反射し、輝き合うことで私は謂ゆる“男の世界”を描ける作家になれた」と冒頭で梶原一騎氏が語っていますが、昭和の時代を生きたアラフィフ世代の方々も“梶原一騎”という“星座”の光を浴びたからこそ今がある……という方も多いのではないでしょうか?
希代の劇画作家、梶原一騎氏が最後に命を燃やし尽くした『男の星座』。ぜひとも皆さまに読んでいただきたい作品です。
(渡辺まこと)