【あしたのジョー】梶原一騎作品のヒーローたちが「燃え尽きて終わる」のはなぜ?
己の生き方をまっとうする男たちを鮮烈に描いたマンガ『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』は、連載された1960年代から50年以上を経た現在も多くのファンに愛されていますが、いずれの作品も最後は主人公が「燃え尽きて」終わっています。原作者・梶原一騎氏の生き様と、彼自身が生きた時代がその背景にありました。
現代よりも「生と死」が身近にあった時代

「いつ死ぬかわからないがいつも坂道を登っていく……死ぬ時は たとえどぶの中でも 前のめりに死んでいたい」──星飛雄馬
「ほんのしゅんかんにせよ、まぶしいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そしてあとは真っ白な灰だけがのこる……燃えかすなんかのこりやしない……真っ白な灰だけだ」──矢吹丈
「いくら全力を尽くしても幸せになれるとは限らない。それでも全力は尽くすべきだ。それが人間の生きる道だからだ。その精神を俺が今から見せてやる。たとえ勝ち目が無くとも全力を尽くすぞ。死ぬかも知れないが俺はやる」──伊達直人
1966年に『巨人の星』、1968年には『あしたのジョー』、そして『タイガーマスク』を立て続けに発表し、不世出の劇画原作者として一つの時代を築いた梶原一騎氏。1987(昭和62)年1月21日に50歳で逝去するまで、劇画だけでも135以上といわれる作品を世に送り出し、格闘技や映画制作のプロデューサーにまで活動の幅を広げ、社会そのものに影響を与えた存在として知られています。
梶原作品の大きな特徴のひとつが、主人公の多くが「燃え尽きて」物語を終える、という点です。冒頭で紹介したセリフは梶原氏が代表作のなかで描いたキャラクターによるものですが、いずれの主人公もどこか刹那的です。
1936(昭和11)年に当時の東京市浅草区に生まれ、幼少時代は宮崎県に疎開した経験を持つ梶原一騎氏は第二次世界大戦を経験した世代です。戦後の復興期から高度成長期に至る時代を生きた人びとは、今を生きる我々よりも強く「生と死」を身近に感じていたと考えられます。
『巨人の星』の星飛雄馬の父・一徹は戦争経験者であり、戦地での怪我によって衰えた肩をカバーすべく『魔送球』を生み出しています。『あしたのジョー』の丹下段平が隻眼となったのも、戦後のドサ回りで行ったボクシング興行による怪我が理由でした。『タイガーマスク』の伊達直人が『みなしご』であるという境遇にも、やはり戦争の影がちらつきます。